2017.02.20 (Mon)

ささやかな喜び

ついに実現した。
ひょっとしていたらすでに、何人もの子たちが来ていたかもしれないけれど、
偶然にも実現した時はやっぱり嬉しかった。
成長した我が子を見る親の気持ちとはこんなものなのかな。
ん~、日々の成長を見ているわけではないから親ではないな、
それならば、甥姪の成長を見る親戚のおじさん、
もしくは孫の成長を見るのおじいさんの気持ちかな。

冬、1月後半から2月、3月前半は卒業旅行、学生旅行の数が増える。
2016年はテロなどの関係で学生旅行の数は少なかったけれど、
2017年、今シーズンの学生旅行の数はかなり多い。

さて、何が実現したかというと、学生旅行のグループ内に、
以前チェコで生活していたJDがいたという事である。
彼女のお父様の仕事の関係で、10年前に4年間ほどプラハにいたと告白してきたのだ。
いま20歳だとしたら当時は小学校4年生か5年生で、聞くと日本人学校に通っていたと言う。
そこで、私が知っている当時のチェコ在留者を思い起こしてみて、
先生、児童など数名の名前を上げてみると、お兄さんがK君の親友だったり、
Y君、F君、U先生など知っている人が多く、彼女は驚くも懐かしむ表情をし、
こちらはそんな話題が出た事になんだか嬉しくなった。

さてさて、今、プラハ日本人学校には90名近くの児童がいる。
彼ら彼女らが日本に戻り、日本で学んで、再び学生旅行でプラハに戻ってくる。
小さい時に感じたプラハと、大きくなってから改めて見るプラハ、どんな感じを持つのだろう。
そんな彼ら彼女らを見てみたいし、応援したい。

さてさてさて、今、プラハ日本人サッカーチーム「アマテラス」には3~5歳の子たちが多い。
彼ら彼女らが20歳になる頃は、私は還暦になっていて、もうおじいちゃんだ。
それでも覚えていてくれて、もし学生旅行でプラハに来たら、
「細矢さ~ん」と呼びかけてくれると最高にうれしいですね。

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2017.02.16 (Thu)

プラハを探す ニコラス ウィントン

日本人会会報2月刊行の内容と被ってしまい申し訳ございません。
しかしながら、当ブログでもニコラス ウィントンを紹介したいと思います。
ニコラス ウィントンについては日本にいる友人から情報を得ました。
『ニコラス ウィントンと699人のこどもたち』というタイトルで映画にもなっているようです。


ニコラス ウィントンは1909年5月19日にロンドン生まれた英国人です。
両親はドイツ系ユダヤ人でしたがユダヤ教徒ではなく、宗教色も濃くなく、
よってニコラスもユダヤ人の血を引き継いでおりましたがキリスト教の洗礼を受けていました。
仕事は主に株のブローカーでビジネスマンだったのですが、どの神が手綱を取ったのか分かりませんが、
1939年3月14日から8月2日までにユダヤ人も含め699人ものチェコの子どもたちの命を救う事になったのです。

1938年9月、ミュンヘン協定にてチェコスロバキアはズデーテン地方をナチスドイツに割譲されました。
その後のナチスドイツの動向(チェコ侵攻の予測)と侵攻後の対処として、
イギリスにあるチェコ難民委員会は難民救出活動を行っていました。
しかし人手が足りず、ニコラスに救援依頼が掛かったのです。
ニコラスはスイスへのスキー休暇を取る予定でしたが、
予定を変更して救出活動の援助をするためにプラハに来ました。
救出活動を目の当たりにしたニコラスは、子供の救出に手が回っていない事を知り、
本国イギリス内務省の許可を得て、里親や身元引受人となる人々も確保し、
子供たちの救出活動を開始しました。

当時は旅客機など飛んでいないので、もちろん陸路で移動するしかありません。
プラハ本駅(当時ウィルソン駅)を出発した救出列車はドイツのニュルンベルク、
ケルンを経由してオランダのフク ファン ホラントに到着し、そこから船に乗り換えイギリスのハリッジへ渡り、
再び列車に乗り換えてロンドンに向かうルートを取りました。
その救出列車を1939年3月14日から8月2日まで8度運行させ、
699人もの子供たちの命を救ったのです。
本当は9月1日にも250人の子供を乗せた列車がプラハを出発したのですが、
列車はプラハに引き返して来ました。
なぜなら同日に第二次世界大戦が勃発してしまったからです。
そんなニコラス ウィントンは英国のシンドラーとも呼ばれ、チェコ政府からもいろいろと表彰され、
2015年7月1日に106歳という長寿で亡くなりました。


ちなみに2009年9月1日にウィントン列車がプラハ本駅を発車しました。
この日は戦争勃発の影響で成功裡には至らなかったラスト救出日から70年に当たり、
当時の救出ルートでロンドンまで4日かけて移動するプロジェクトが企画実現されたのです。
当時のように蒸気機関車を手配し、実際に救出された子供たち22名を始め、
彼らの子、孫など総勢170名が乗車してロンドンに向かいました。
そして終着駅のロンドン・リバプールストリート駅では、
ニコラス ウィントン自らが当時のように彼らを待ち受けていたのです。
一方、出発駅のプラハ本駅では列車出発前に、ニコラス ウィントン像の除幕式が行われました。
その銅像は今もプラハ本駅1番線ホームに立っています。
駅に行く機会がありましたらぜひご覧ください。


2月15日現在では駅工事の関係で銅像は木箱の中にいます。
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13:45  |  プラハを探す  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2017.02.04 (Sat)

祝 平成の大家族

日本は少子高齢化時代です。
ニュースによると65才以上の高齢者が日本人人口の25%を越えたとありました。
25%と言ったら日本人の4人に1人が高齢者になるわけです。
2016年9月に総務省が発表した統計では、日本人総人口で65才以上の男女が27.3%を占めています。
さらに5才階級分けすると以下の通りです。
70才以上19.2%
75才以上13.4%
80才以上8.2%
85才以上4.2%
90才以上1.6%
95才以上0.4%
100才以上0.1%

逆に0才から14才までの人口比率はなんと12.6%しかありませんでした。
興味深いデータなので15~19、20代、30代、40代、50代と年代別のデータも見たかったのですが、その資料には「敬老の日にちなんで」と前置きがあったため細かな年代別はなく、ざっくりと15才から64才まで60.2%とのデータしか発表されていませんでした。

そこで、総務省が発表した他の資料を探してみると2017年1月1日現在での概算値を発表しているものがありました。
5才階級分けになっていて、単位は万人です。
0~4:496
5~9:529
10~14:550
15~19:604
20~24:615
25~29:635
30~34:722
35~39:805
40~44:966
45~49:941
50~54:789
55~59:754
60~64:808
65~69:1024
70~74:742
75~79:661
80~84:520
85~89:329
90~94:150
95~99:39
100~:7

この資料を見ても圧倒的に65~69才、いわゆる団塊の世代が多く、その次に第二次ベビーブームでもある団塊ジュニア世代が続いているのが分かります。
私はまさに団塊ジュニア世代です。

しかしいくら長寿国とは言っても100才以上が7万人もいるのには驚きました。
資料を詳しく見ると100才以上の内訳は男性1万人で女性6万人となっていました。
はやり女性は元気なのですね。

またバブルが崩壊し不景気になってから、平成ベビーでもある29才以下からの人口数が減少しているのも分かります。
バブル崩壊が育児環境をも崩壊したのかもしれません。

少子高齢化の話題になると、少子化については晩婚、社会保障、労働環境、生活環境、育児環境など諸々の問題が取り上げられ、高齢化では定年年齢、年金、医療、介護などの制度問題が取り上げられ、それらが平行線で交じる事なく永遠と話されています。
しかし、出生率を上げない限りは人口増加はあり得ず、少子高齢化の改善にはならないのですから、高齢者のための制度を熟考するのはもちろん大切ですが、それよりも出生率向上や育児環境改善のための制度を熟考する方がより重要だと私は考えています。

焼け跡世代や団塊の世代とも呼ばれる60代半ばから70代の方々は、戦後の苦しい時代にがむしゃらに働いて日本の高度成長を築き上げた世代でもあるので敬意を払う必要があります。だから当然、生活し易い環境を整えなくてはなりません。
それに続く団塊ジュニアもあと20年後には当たり前のように高齢者になり、団塊の世代は90代になる頃です。
その時、元気で歩いている自信はありますか?

考えて下さい。
その時に日本を支えてくれる世代が今の子供達なのです。だから高齢者や準高齢者は彼らが生活し易い環境を準備し整えてあげなければならないのです。
年寄りが自身の利権ばかり求めていたらダメなのです。
そうでなければ日本人は絶滅危惧種になってしまうでしょう。

プラハでピヴォに似つかわしく無い、少々お硬い話になってしまいました。
独身未婚で、当然、子供を持たない私がこのような話をしても説得力は皆無なのは理解しています。

現に私もこんな硬い話をだらだら書くつもりはなかったのです。
ただただ、おめでとう!とだけ書きたかったのです。

2月4日に妹が7人目の赤ちゃんを出産したのです。
このご時世、7人って…。
男男女男男男と続いて2人目の女の子だそうです。
甥姪よ、良かったな!
特に姪よ、念願の妹ちゃんができたな!
妹よお疲れ様。
ゆっくり休んでください。





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16:41  |  くだらないけど・・・の話  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2017.01.24 (Tue)

Ahoj のこと

Ahoj! アホイ!
これはチェコ語で親しみのこもった挨拶です。
スロバキアでも使います。
家族、親戚、友人、同僚が出会った時や別れ際に、
元気に大きな声で「アホイ」と言います。
親しい中であれば電話でも「アホイ」と言って話し始めるのです。

ただチェコ人も挨拶を重んじるタイプなので、初対面の人、
仕事の上司、先生などに対してはこのアホイは使いません。
その場合は普通にこう言います。
「dobry den 良い日を(こんにちわ)」
「na shledanou またお会いしましょう(さようなら)」

そもそもアホイってなんなのでしょうか?
とある資料によると、中世ヨーロッパで、主にカトリック圏で、
海賊を恐れた船乗り達が使っていた言葉だとありました。
当時、航行中に海賊と遭遇してしまうと助かる見込みはほとんどありませんでした。
船長、船員、乗船客、巡礼の信者、誰もが海賊を恐れていたのです。
ですから、航行中に海賊と遭遇しないための祈りの言葉として、
また行き交う船に自分たちが海賊では無いという証明の合言葉として、
この言葉を使ったのです。
「イエスを尊重(尊敬)するために!」
当時カトリックではラテン語を使用するのが常でしたから、ラテン語に直すとこうなります。
ad honorem jesu
これを普通に言っていると長いですし舌を噛みそうになすりますよね。
そこで頭文字を繋いで短縮しAHOJと言ったそうなのです。
真実はどうなのかは分かりませんが、このような経緯があり、
1751年にはイギリスで船乗りがAHOYを挨拶として使っていたようで、
恐らくドイツ経由でチェコに浸透した言葉とも言われています。
さらに、エジソンと競っていた発明家ベルは自身が発明した電話での挨拶として,
このAHOJを提案したとも言われています。
結局はhelloになってしまいましたが…。

いずれにせよ、中世の船乗り達が海賊の被害に合わないようにするために、
日常の挨拶や合言葉として使っていた言葉という説は正しいようです。
その証拠にチェコでは今も川でカヤックやボートを楽しむ者、
ハイキングやオリエンテーリングを楽しむ者はすれ違いざまに挨拶します。
「アホイ!」と。
「我々は海賊、山賊では無いですよ。」
の意思表示も込めた挨拶なのかもしれませんね。
パイレーツ

信じるか信じないかは読者次第です。
マウスでペイントは面白いですね。
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20:59  |  チェコ語  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2017.01.16 (Mon)

二泊三日の旅 4

拠点にした町。
Orvieto オルヴィエート。


ここも岩山の上に造られた町。
到着した日はすでに暗くなっていたし、翌日は不本意にもチヴィタに長居してしまったので、最終日の午前中にやっと明るい町を歩く事が出来た。


本来なら昨日の午後、暗くなる前に、町から少し離れた場所まで歩いて行って、岩山の上に造られたオルヴィエートを遠くから見るつもりでいたのだが、先述の通りでそれは叶わず。
圧倒される景色が見れたのに…。
まあ仕方がない。


日曜日の午前と言うこともあるのか、人通りも少なく、一人静かに迷路のような細道を歩く。


その中でもドゥオーモは圧巻だった。
夜に見た時も明るい時も壮大さは変わらない。


しかもチェコではほとんど見かけないタイプだ。


さて、階段のが昇り降りが嫌で有名な井戸には降りなかったけれど町は一通り歩いた。


永遠の都ローマを経由して空港に行こう。


19:20のフライトには少々時間があるから、ローマをそぞろ歩きしてからプラハに帰る事にして、テルミニ駅からメトロでポポロ広場まで行き、そこからスペイン広場、トレビの泉を見て、ボンゴレを食べてから空港に向かった。
ローマをそぞろ歩きなんて贅沢極まりないな。


でもね…。
早くチェコピヴォが飲みたくたくなってきたぞ。

おわり
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00:50  |  外国旅行  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2017.01.15 (Sun)

二泊三日の旅 3

昨晩、寝ていると夢を見た。
はっきりと覚えているから怖い。


突然、部屋にコウモリが入ってきた。
次から次へと5、6匹か、いや10匹はいた。
部屋に入るとコウモリは棚の上で伏せて何か様子を伺っている。


なんだ!?
部屋に入ってくるコウモリにビビるも、冷静に彼らの様子を伺うと、彼らコウモリたちに全く悪意は見えない。
さらに冷静さをキープして部屋をチェックしてみると、部屋の壁に巣が3つ作られていた。
巣って…と少々ショックにかられていると、またまた突然に、妹と弟が登場して来た。
そして夢の中で兄妹弟力を合わせコウモリたちにお引き取り願うべく戦っている。
コウモリたちをまとめてバルコニーに放り投げるため毛布に包んでいる。


しかしコウモリの動きは素早い。
毛布に包まれたコウモリたちをそのままバルコニーの外に放り投げ、追いやるも、放り出されたコウモリたちは窓を閉める前に再び舞い戻ってくる。
困った…。
何度か外への放り出しを試みて、やっと2匹ほどは部屋の外に食い止めた。
ところが、部屋に舞い戻ってきているコウモリたちがキーキーわめいている。
そこでなぜだかコウモリたちと話し合いをすることになった。この場面も不思議だ。
だってコウモリたちと話しているわけだから。


話し合いの主旨ははなぜかこうなった。
放り出してしまったバルコニーであれば巣作りも構わないから、せめて部屋からは出てくれないか。
するとコウモリたちは承諾してくれて、バルコニーに巣を作りそこに落ち着いた。


するとそのあと辺りが真っ暗になり、バサバサと何かが飛び交う音が聞こえてきた。
えっ、続編!?
羽音の主は少数ではなくかなりの大群。
なんだ?


その大群はコウモリたちがいる方には近づいてこない。
たぶんコウモリたちが魔除けの働きをしてくれたのだろう。
しかしコウモリたちのいない別の窓には大群が張り付いている。
バサバサと物凄い音だ。
よく見ると白や黄色の蝶。
10匹20匹ではない100は超えたのではないか。
兎に角大群である。
しかもモンシロチョウサイズではなく、アゲハサイズである。
うわっ!となって目覚めた。


コウモリと蝶が出てくる夢なんて初めて見た。


なんだろうと思い夢占いを見て見ると、コウモリは運気の転機、好調の人は不調へ、不調の人は好調へ、アクシデントなどに注意…など良くも取れるし悪くも取れる占い内容であった。


そして蝶も良くも悪くも取れる占い内容が紹介されていた。


これは道中気を付けないといけないと、自分を戒めて、今日1日の活動を開始する事にした。


朝7:50発のバスでこの旅のメインスポットでもある町に出発。
日本でもすでに有名になっているからご存知の方もいるだろう。


その小さな町は崖の上に造られた。
自然現象、特に風化の関係で「死にゆく町」とも呼ばれている。
町の名前はチヴィタ ディ バニョレージョ。
Civita di Bagnoregio


普通ならカフェもしくは食事をしても2時間も滞在すれば十分すぎる小さな町だ。


でも来る前からのんびり滞在したいと考えていた。
考えていたが、ぼくは17:25までいる事になった。
朝の9時前からである。
その滞在時間は長すぎる。
なぜか…。


理由は簡単。
帰りのバスの時間をしっかりチェックせず、宿の主人の情報とネットに頼りっぱなしだったからだ。
宿の主人の情報通りにバス停に行くとその時間のバスは無く、ネット情報の時間にバス停に行くとすでに15分前に出発しており、その後3時間もバスは無く、やっと宿のある町に戻るバスに乗れたのでした。
夢占いにあった不調、トラブルはこの事だったんだ。
完全に自分の不注意だけど…。


でもいろんな時間帯で町を見れた。
太陽が町に当たる角度で見え方が変わる。
天気次第でも見え方はだいぶ違うだろうし、雲海に浮かぶ町の絵葉書もあった。


チヴィタ ディ バニョレージョは訪問するに値する町です。
ぜひ機会があれば出掛けてください。
町の詳しい情報は他のブログや解説にお任せしますが、天空の城ラピュタの…などとも言われているのですよ!
だから来たくなっちゃったのでした。
細矢はミーハーなのです。
そうそう、黒トリフが掛かったうどんみたいなウンブリケッリ アル タルトゥフォUmbrichelli al tartufoはめちゃくちゃ美味かった。
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07:00  |  外国旅行  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2017.01.14 (Sat)

二泊三日の旅 2

細矢を乗せた飛行機は12:05に定刻通り動き出し、まさに定刻通り目的空港に到着しました。
預け荷物のない細矢はスムーズに空港を出て鉄道駅ブースへ移動し、鉄道切符売り場で切符を購入しています。
片言の現地語で切符を購入しているようですが、当然、駅員はベラベラ現地語で返してきます。
案の定、細矢は困った顔をして即英語に変えました。
旅行あるあるをまず体験し、気色悪く1人ほくそ笑んでいる細矢です。

空港内では思った以上にスムーズに動けたので、予定していた列車よりも30分早く出発する列車に間に合いました。
この列車の切符は当初予定していた列車よりも10ユーロほど値段は上がりますが、本日の目的地には1時間も早く到着できます。
時は金なりを地でいくことにしました。


空港からこの国の都、古からの永遠の都の駅で乗り換えし北上します。
永遠の都の駅での乗り換え時間が15分しかなかったのは油断していました。ここはプラハではないのです。
最後は駆け足になりながらも何とかインターシティに乗り換える事ができ、永遠の都から2駅、ようやく本日の目的地に到着しました。
永遠の都とはご想像の通りです。
ここはイタリアです。


これから白ワインを飲みに行きます。


明日は調べていて急に見に行きたくなった町に行きます。

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15:12  |  外国旅行  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2017.01.13 (Fri)

二泊三日の旅 1

はい、年末年始は怒涛の14連勤でその後もちらほらお仕事をしていましたが、12日より5連休となり、突然には仕事も来ないだろうからほぼ5連休は決まっていたので、どこかへ行こうかなとは考えていました。
とは細矢の発言である。


細矢は続けて言う。
でも寒かったですし、雪もあるから運転は嫌だったんです。だから飛行機をチェックしたら安いのあるじゃないですか。でも行くか行くまいか考えて本当は行かない事に決めたんですけど、いろいろありまして…
そんなこんなで連休前日になってしまい。昨日12日も悩んでてあーだこーだネットサーフィンしていたら興味そそる場所を発見したんです。すでに日本でも知られているけど、ここは見に行かなくてはいけないと思ったのです。だから今ヴァーツラフハヴェル空港にいます。


細矢が言うには出発日前日に1890コルナで航空券購入したと言う。日本円にしたら9500円程度だ。
現地で2泊するらしく、宿泊代は2泊で90ユーロ。
突発的に決めたにしても飛行機&宿で2万円程度だ。
でもなんだか、空港からさらに電車で移動すると言っていた。主要都市に行くわけではなさそうだ。

さてどこに行くのでしょうか?
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