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2018.09.20 (Thu)

パワースポット 未完成教会

あなたはパワースポットを信じますか?
そこに行けば、ポジティブ エネルギーを得ることが出来、心身共に健やかになり前向きになれる。そんな場所をあなたは信じますか?
実はチェコにもそんなパワースポットがあるのです。


パワースポットはプラハから北西約50kmの所にあるPanenský Týnecという小さな町に建つ教会です。
教会の名はその名もズバリ、未完成教会と言います。
チェコ語からの直訳だと未構築教会の方が正しいかもしれませんが、とにかく未完成の教会がパワースポットなのです。


この教会は1316年に着工されるも、1382年の火災で工事が中断し、その後も工事が再開される事なく未完成のままで現在に至っているのです。
門をくぐり抜けると教会身廊部に入ります。


すると、もともと小さな町なので教会の外も静かではあるのですが、なんだか外部より静かな感じがし、そして目を閉じて立ち止まると何かを感じられる気分になったような気がします。


教会の壁には瞑想の場、医療の場、エネルギーの中心など、どこに立てばより効果的か表記されています。


表記に従い身廊を内陣の方に進みます。
エネルギーの中心から医療の場を歩き瞑想の場まで進むのです。
ハトの鳴き声が聞こえますが、それ以外は私の歩く足音だけしか聞こえません。
そして奥に進むにつれ、より静寂さが増すのです。


不思議な気持ちで瞑想の場に立ち止まると、頭上から足下からさらには側面から、なにか分からないパワーを感じます。
なんだろう?
本当に見えない、しかも柔らかいパワーが身体を包み込んでいくのです。
そしてそのパワーが体内に浸透し、自分自身がパワーで漲っている、そんな感じがするではありませんか。


なんなのだ。これは!
不思議な気持ちになり、パワーを得た勇者よろしく、フフフとほくそ笑んでいる自分がいます。
でもその裏には、この未完成教会の建築構造上の関係で教会内外の大気がこの瞑想部に集まってきているのではないか?などと現実めいた事を考えている21世紀の自分もいます。


いずれにせよ、見えない何かを感じ得る事の出来る場所には間違いありません。
これをパワースポットと言うのでしょうか。


またパワーを求めに来てみようと思います。
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2018.09.16 (Sun)

ゴースト教会

先日、チェコ人の友人から興味深い教会について聞いた。
なにやらゴーストが教会にいるという事だ。

なに、ゴーストだって!

とても気になったのでネット検索してみた。
すると、Lukova村に建つ聖イジー教会の事のようだ。
Lukova村はプラハから西方80kmほど、ピルゼンから北方45kmほどの所にある小村で、Wikipedia情報によると家は17軒しかなく、2011年の記録だが定住者は4人しかいない。
マジ小村です。

聖イジー教会は1352年に建てられた。
その後バロック化された教会は1796年の火事で大惨事となり19世紀に入って修復された。


そして本題のゴーストとは…。
2012年、当時西ボヘミア大学の学生だったヤコブ ハドゥラヴァが石膏で32体のゴーストの彫刻を作成し教会に設置したのだ。
彼のテーマとしては、Lukovaの土地柄と戦争の悲惨さを表現したと言われている。
特にWWII時、当地はナチスドイツによってドイツ人居住地域として指定された。
いわゆるズデーテン地方である。
戦後、チェコスロバキアの復活でズデーテン地方で生活していたドイツ人は土地を追われてしまった。
ヤコブはこのゴーストに、毎週日曜日に教会へ礼拝に来ていたであろうズデーテンドイツ人を描写し、いつまでも教会でお祈りしている姿を表現したそうだ。


なるほど、古い話ではないし、現代アートになるけれど、教会にゴーストって!だし、これはぜひ見に行かなくては!と思い、さらにウェブをチェックしていると、イエジシマリア!(オーマイガの意)、なんと、土曜日の13時から16時までしか開いておらず、日曜日はクローズとあった。
マイスケジュールをチェックするとしばらく土曜日の休みが無い。
イエジシマリア、これは参った。
これからどんどん寒くなるし、まだ暖かい時に出かけたい。
そこで、まあダメ元で行ってみよう。と本日チャチャっと出かけて来ました。


案の定、教会は閉まっていたけれど、教会の周りをぐるりと一周すると、窓から中を覗けたのでなんとか覗き見してみた。
するといるわいるわ、お祈りしている者、うずくまっている者、知っているから良いけれど、知らないで中を覗いたらちょっとしたホラーではないか。


中に入れなかったのは残念だけど…


ねっ、興味深い教会でしょ。








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2018.07.19 (Thu)

ネポムク ネポムツキーの生まれた町

チェコの聖人で1番多くの彫刻や絵が残されているのは誰でしょうか。
ヴァーツラフ、ヴォイチェフ、ルドミラ、アネシュカ、ジクムンド…。
うーむ、ヴァーツラフは確かにたくさんありますね。
なんと言ってもチェコではトップの守護聖人ですから。
本来ならば守り神と呼びたい所ですが、ご存知の通りキリスト教は一神教ですから神様は1人しかいません。よって守り神とは呼べないのです。
日本のように多神教であれば何にでも神様と付けられますが、キリスト教ではそうは行かないのです。
それでも信者には神様だけでなく他に自分を救ってくれる何かを求め、守護聖人なるものをつくり、崇めています。
で、チェコでのNo.1守護聖人がヴァーツラフになるのです。
でも、色々町歩きをしてみると、彫刻や絵の多さではこの聖人には勝てないのではないかと思えてきます。
それはヤン・ネポムツキーです。
十字架を腕に抱え、寂しそうな、もしくは虚ろな表情で少し上を見つめている姿が特徴的です。

そのヤン・ネポムツキーは1340年ごろにネポムクと言う町で誕生したそうです。
ネポムクはプラハから南西90kmほど離れた場所にあります。
彼の生家があったと言われている場所には1700年代、キリアーン・イグナーツ・ディーツェンホーファの手によりバロックの教会が建てられました。


教会には生誕地を示すべくレリーフが設置されています。


幼少期から勉強熱心で、二十歳の時にはプラハ大司教ヤン・オチュカの下で書記官をしていました。
その後プラハ大学で法律を学び、1383年から4年間はイタリアのパドヴァで学んでいます。


プラハに戻ると、法律に長けた者を必要としていた大司教より手紙を受け取りました。
大司教の下で働いてほしいと言う嘆願書だったのです。
しかし大司教は王と対立した立場におり、ヤン・ネポムツキーは自分の身に危険が起こるのを承知の上で働く決意をしました。


ある日、王は大司教との関係を改修しようと、大司教とヤン・ネポムツキーを城に呼び出しました。
しかし彼らが城へ訪問すると、平和への話は無く、彼らを捕らえようとしたのです。
何とか大司教だけは逃げ延びましたが、ヤン・ネポムツキーは捕らえられてしまいました。
そして残酷な拷問にかけられ命を落としたのです。


彼の遺体は1393年3月20日夜9時にカレル橋から投げ捨てられてしまいました。
遺体は4月17日にヴルタヴァ川右岸で捕獲されたのですが、一説によると漁師が水面に5つの星があるのを見つけて、そこに彼の遺体があったとも言われています。
5つの星はヤン・ネポムツキーの特質でもある、温和、忠誠、真実、勇気、正義を意味しているそうです。
またラテン語の「TACUI 沈黙していた」だとも言われています。
聖母マリアの他に星を持つ聖人はヤン・ネポムツキーしかおりません。


1721年5月31日に福者となり、1729年3月19日に列聖されました。


さて、ネポムクにはヤン・ネポムツキー博物館があります。
そこには数多くの彫刻、絵、版画、聖遺物など展示されています。
ヤン・ネポムツキーの伝説がテーマとなっている物ばかりです。
伝説とは、
王女の話を誰にも明かさなかった。
王の尋問を受けた。
舌を切り落とされた。
水面に5つの星が浮いた。
などです。
本当にヤン三昧で、チェコに来てからヤンネポ好きになった私にとってはとても見ごたえのある博物館でした。

ヤン・ネポムツキーは橋、水の守護聖人です。
特に橋、水辺の建物にいます。
シンボルは5つの星、沈黙、切り落とされたベロ、棕櫚の葉ですので簡単に見つけられます。
皆さんもチェコ、チェコだけで無く近隣諸国で彼を探してみてください。
私は遠くではベルギーのブルージュやスペインのサンチアゴ デ コンポステーラでも見つけた事がありますよ。
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2018.07.15 (Sun)

Rabí城

スロバキアには雄大に聳え立つシュピシュスキー城があります。
ただ雄大な城と言っても廃墟城ですが。
そのお城は当ブログでも紹介していますので、興味のある方は過去ログから探し出して下さい。
ファンタジー映画の一場面、怪鳥やモンスター、勇者、騎士、魔法使い、お姫様などが登場しそうな廃墟城です。


そんなお城がチェコにもないか?と地図など見ながらチェックしてみました。
もしもそんなお城が存在していたら、すでに様々な媒体で紹介されているはずですが、そう言ったお城はあまり紹介されていません。
それでも懲りずに探してみると、らしき城が見つかりました。
それがこのRabí城です。


プラハから南西100kmほど離れた所にあります。Googleマップ航空写真版で見ると、おーシュピシュスキー城みたいじゃん。と少し感動しました。
だから早速実行、出掛けてみます。
現場に着いて城を見るとシュピシュスキー城よりははるかに小さく、周りをぐるりと廻ってみてもシュピシュスキー城のように雄大に聳え立つ姿を見られるような場所はありませんでした。


まあそれは仕方がない、町へ行こう。となりまして町へ行くと、ホラショヴィツェに建つ田舎風バロック様式の家が数件並んでいました。
あら、かわいらしいではありませんか。
これらを横目に見ながらお城に向かいます。


だいぶ歩きづらい石畳の坂道を登り、合理的ではないチケット売り場で入場料を支払って中庭に行きます。


中庭に入ると一瞬だけですが、あれラピュタ?と思わせる場面に立ち会えました。
石積みの廃墟城と芝の緑、そして青空と雲との組み合わせがそう感じさせるのでしょう。
ロボット兵を探してしまいそうです。


さて、ここラビー城にはダンジョンと言う名の塔に登るガイドツアーと元宮廷を見学するガイドツアーと2つのコースで見学できます。
各100コルナですが、両方見学すると170コルナに割引されます。
合理的ではないチケット売り場にて希望を伝えると上手く時間を組んでチケットを発行してくれます。


高さ23mあるダンジョンに設置された木組みの階段を登ると城と町を見下ろす事が出来るのです。


天気が良いので廃墟感もノスタルジックな気分になります。
雨天、冬の寒い時にもし来ていたら、ただただ悲哀と絶望しか感じられないかもしれません。


ラビー城ははっきりとした文書などはありませんが、建物で残っている最古の部分を調査するとヴィッテルスバッハ家所有であっただろうと言われています。
その後13世紀から14世紀の変わり目にヴェルハルティツ家がチェコの家系で初めて所有しました。
さらにその後、ラビー城の歴史では1番著名だと記されているリーズムベルク家が14世紀の半ばから16世紀の半ばまで所有していました。
15世紀にはチェコでフス戦争が勃発しますが、リーズムベルク家はカトリック側に付き、1420年と1421年の2回、フス派の攻撃を受け多大なダメージを負っています。
フス派の闘将でもある隻眼のヤン・ジシカはラビー城で右眼も失い、全盲になってしまいました。
ジシカはラビー城の門にその右眼を置いたと言うエピソードがあり、その門はジシカ門と名付いています。


フス戦争後にラビー城は早急に修復され、領主プーティ シュヴィホフスキーの手腕もあり経済的にも政治的にも最盛期を迎えました。
プーティ没後、ラビー城は息子が管理しましたが、長く続かずに売却されます。


そして、トゥラヘンベルク家、リベェヨヴィツ家、ロジュンベルク家、ドロウヘー フシ家と所有者が変わり、1708年から1920年までラムベルク家が最後の所有者となりました。
1920年にラムベルク家はラビー城をシュマバ地方の記念物保存組合になんと1コルナで売却しています。
破格の金額ですが、火事で焼失した部分もあり、また城下の住民が城の石材などを自分たちの家を直すのに使ったりしており、かなり荒廃していたようです。
1945年からは国有となり、ピルゼンの文化局が管理しております。

そんなお城も一度はどうぞお出かけください。

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2018.07.10 (Tue)

国立種馬飼育場 Kladruby na labem

プラハから東へ90km離れた所、パルドピツェより西へ25kmほど、ラベ川のそばにKladruby nad labemという小さな町があります。
直訳するとラベ川の上のクラドゥルビーです。
ラベ川とはエルベ川の事です。
この町には国立種馬飼育場があります。


すでに400年以上の歴史があり世界でも最古の種馬飼育場になるのです。
当時、王侯貴族やキリスト教高位聖職者などの間で美しい馬に騎乗、美しい馬の引く馬車で移動する、または結婚式などの行事で使われる馬車に美しい馬が必要となる事が増加し、種馬飼育場なる施設が誕生しました。


ここKladruby nad labemはもともと領主ペルンシュテイン家の所有地でしたが、ハプスブルク家に贈呈され、1563年にマキシミリアン2世が種馬飼育場を設立しました。


1579年にルドルフ2世が皇室種馬飼育場に指定した事により、1579年が公式設立年となりました。
そこから1918年までの300年以上、プラハやウィーンにある王宮と皇室のための馬として確立されました。


現在は国立種馬飼育場となっていますが、500頭の馬を飼育しており、そのうち250頭は白馬、残りは黒馬で、白馬はKladruby飼育場で飼育しています。
黒馬の方はと言うと、Slatiňany飼育場で飼育しています。Slatiňany飼育場はパルドピツェより南に位置し、1898年に設立されています。


さて、クラドゥルビーの白馬は古クラドゥルビー産馬として知られています。
主にスペイン馬とイタリア馬を交配させて誕生したそうです。


この美しい白馬が綺麗な装飾付きの馬車を引く姿を想像してみてください。
馬車が列をなして行進したら圧巻でしょう。


今日でもデンマークで女王マルグレーテ2世が祝典でコペンハーゲンを金箔塗りの馬車で移動する際、六頭の古クラドゥルビー産馬が馬車を引き、スウェーデンでも王室警備隊のトランペッターを運んでいます。


チェコではプラハ城での式典や、プラハや他の街の騎馬警官が騎乗する馬で古クラドゥルビー産馬を見る事ができます。


一頭三つ編みしてオシャレ感丸出しでした。


ここクラドゥルビー種馬飼育場では馬小屋、馬車&馬具展示場、お城とコースがあり、それぞれガイドツアーで見学が出来ます。
私は今回は馬小屋コースのみ見学しました。
やはり1番人気のようです。
ただ乗馬学校ではないので、通常の馬小屋見学コースでは馬の行進やショーはありません。
馬小屋にいる馬を見るだけです。
それでも気品のある馬を間近で見る事が出来るので、馬好きにはたまらないでしょう。


見学コースは飼育場の核となる馬小屋や乗馬場を見学するのですが、飼育場全体の面積は1200haもあり、離乳後から3.5歳になるまでの子馬のエリア、若馬の訓練所エリアなどに区分けされています。


子馬のエリアでは子馬同士がじゃれ合っている所、その子馬を母馬が気遣っている様子を微笑ましく見ていました。


またエリアをテクテク歩いていると、先程とは年齢層の違う馬のグループがおり、リンゴをボリボリ食べていました。


ボリボリよりもゴリゴリに近い音でリンゴを噛み潰す、その音はなかなかの迫力でした。
柵まであと1mぐらいの所までは近づけたのですが、迫力に負けてしまいそれ以上近づけませんでした。


さてここKladruby nad labemは種馬飼育場の町です。
そばを通る車に注意を促すために馬注意の道路標識があります。


また町の入り口にある町名の看板には町の紋章がありました。
白馬の上に王冠が描かれています。
白馬の下の水色はラベ川でしょうか。


皇室種馬飼育場として300年以上、その後の国立種馬飼育場も合わせれば400年の歴史を持つ、クラドゥルビー種馬飼育場を見学しました。


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2018.04.23 (Mon)

Zbirov ズビロフ

プラハとドイツのニュルンベルクを結ぶ重要な交易路に、Via Carolinaもしくはニュルンベルク街道と呼ばれる街道がある。
今はその街道をヒントに高速道路D5が走っている。
その街道をプラハから約50kmほど走ると、ズビロフ城が建っている。


ロマネスク、ゴシック、フス時代、ルネサンス、バロック、古典主義、アール・ヌーヴォーとさまざまな様式を持ち合わせているお城だ。
つまり古くから存在し、立地、情勢などを含め重要なお城だった事が分かる。


もとはこの地域の貴族が、そしてプシェミスル・オタカル2世が、カレル4世が、ジクムンドが、ルドルフ2世が所有し、特にルドルフ2世の時代に大改修されルネサンス化された。
17世紀の30年戦争で多大な被害を受け、19世紀に入るまで荒れ放題となってしまった。


1868年に、プロイセン生まれの鉄鋼王Bethel Henry Strousbergが購入し、ネオルネサンスの城に大改修をした。彼はこの地を鉄鋼の町、いわゆるチェコのマンチェスターにしようと考えていたが、製鉄で失敗し破産してしまう。
その後、コロレド・マンスフェルト家が購入したが、マンスフェルト家はこの城では生活せず、賃貸として活用した。


第二次世界大戦中はナチスドイツが没収し使用、戦後はチェコスロバキア軍が利用し軍事機密拠点となった。2004年に軍撤退後、ガストロ-ジョフィンが所有し2005年より一般公開される。
現在はホテル、レストラン、結婚式、見学ツアーなど、多くの訪問客が訪れるお城だ。


ちなみに、ここはテンプル騎士団との縁もあり、その事もあって2012年1月にレオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画がイタリア以外で初めて公開された城でもある。
実はそのテンプル騎士団は1307年10月13日金曜日に時のフランス王フィリップ4世の意により一斉逮捕され異端審問を受け活動禁止、その後1312年には教皇クレメンス5世により騎士団禁止令を受けた。13日の金曜日…。そうご存知の13日の金曜日の所以のひとつとも言われているのだ
現在もズビロフ城では月一ペースでテンプル騎士団の団員が集合しているそうだ。

あっ、チェコネタだとこれの方が大事だった。
チェコ代表するアール・ヌーヴォーの芸術家、アルフォンス・ムハ(ミュシャ)がスラブ叙事詩を描くためズビロフ城をアトリエに使い、約20年ほど家族と共に生活をしていた。そう、これこれ。
で、ムハはスラブ叙事詩のためのモデルを雇っていて、その多くはズビロフの住民だったそうで、現在になってスラブ叙事詩の詳しい資料本が出版されたのだけれど、その資料本には多くの製作中の写真もあり、その写真にズビロフ在住者の祖父母がモデルとして写っていて驚いた。なんて話もあるようです(お城のガイドさん談)。

ズビロフ城にはムハ物はあまり無いのですが、同じ空間でインスピレーションを受けてみませんか?


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2017.09.15 (Fri)

SOOS

フランティシュコヴィ ラーズニェの北東約6kmの所に221haの広さで国立自然指定地SOOSが広がっています。
チェコほぼ最西部の町Chebのそばでもうドイツとの国境に近い所です。


この地域はその昔、暖房のための泥炭、入浴のための泥、耐火煉瓦生産のための珪藻土を採掘しており、ミネラルウォーターからはバスソルトが取れ、木材を伐採し家畜のための草を刈っていました。
しかし1964年にそれら採掘を中止して、自然保護区に指定されたのです。


SOOSではたくさんのミネラル源泉があり、地中からポコポコと赤茶色の水が湧き出しています。
春になると水量も多く、かなり綺麗な景色が見えるとSOOS係員が言っていましたが、湿地に作られた自然トレイルを歩いていると、水が少なくても結構面白いのです。


堆積している泥炭や珪藻土が広がり、その表面にはクレーターのような丸穴が開いており、そこから二酸化炭素を含んだ水泡がプクプクと出ています。
モフェッタ、炭酸泉と言うようです。
冬になるとその炭酸泉が凍り、柱のようにもなると写真で見ました。
地質学好きにはたまりませんね。


この湿地には特徴的な動植物がおり、鳥類で100種、昆虫に至っては1000種類も生息しているそうです。
カワセミや黒ツル、ミズグモや多種の蝶など、こちらは生き物好きにはたまらない場所となるのです。


もちろん、地質にも生き物にも興味がない方でも、自然の作り出した芸術的な風景の中をただただ歩くだけでも構いませんから、散歩好きにはたまらないでしょう。


私は今回、自然トレイルを歩きながら炭酸泉にのみ目が行ってしまっておりましたが、もし次回、季節を変えて来るのならば、そのような動植物にも注目してみたいと思いました。
特に鶴を見てみたいですね。
いつチェコに飛来して来るのでしょうか?
チェコは越冬地なのか、それとも春?夏?


もし冬に来るのならば、写真で見た炭酸泉が凍って柱になっている状態を見てみたいです。


そして係員が水量の多い春が綺麗と言っていたので、やはり春にまた来るしかありません。
一面が水で覆われ、花も咲き、確かに綺麗な景色が想像できます。


さてあなたはどの季節のSOOSを見てみたいですか?


それほど広くない自然トレイルで1時間もあればひとまわりできます。
あと入場料が掛かります。
90コルナでした。


さあ、みんなも行ってみましょう。




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2017.09.10 (Sun)

RIMOWA

今やスーツケース界では一番人気のかもしれないRIMOWA。
プラハにも高級店通りになったパリ通りに店舗を構え、毎日のようにC国のツーリストがどデカイスーツケースを買って、ゴロゴロゴロゴロパリ通りを引きずり歩いている。


わざわざ記すまでもないが、このRIMOWAは1898年に創業され、本社はドイツのケルンにある。
そして現在はドイツ、ブラジル、カナダ、そしてチェコに工場があり、あのスーツケースを生産しているのだ。
だからあなたが持っているRIMOWAはひょっとしたらチェコ産かもしれない。
チェコ工場はPelhřimovの工場地帯にある。しかし残念ながら直営店やOutlet店は無い。
あったら良いのになぁと思うが、無いのだから仕方がない。


敷地外から工場を覗き見ていたら、スーツケースの元なのか、中央部が空洞のプラスチック板の束が置かれているのを見つけた。
これがあの人気スーツケースになるのだろうか?
とすると、どう加工したらあの形になるのだろう?
工場の中を見てみたい。
見学できないのだろうか…。


ウェブサイトを見ても見学については触れていなかった。
ヒュイーン、ガチャン、ヒュイーン、ガチャンと機械がプラスチック板を縦横左右に回転させながらプレスしているのだろうか。
検品はやはり人の目なのか。


やっぱり工場の中を見て見たいな。

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