2017.09.07 (Thu)

ミクロフ地域ワイナリー Pavlov村

SONBERKワイナリー滞在時に、ミクロフ地域ワイナリーの地図を見ました。
そして地図とSONBERKワイナリーから見た景色とを照らし合わせて思いました。
「貯水池の向こう岸に行ってみよう。」
SONBERKは地図上では大きな貯水池の上、真ん中より右手にあります。


車で移動する途中、道路工事の関係で交通規制があり、目的地までは貯水池沿いに進めず、パーラヴァ丘の裏側へ周り、丘を越えて貯水池まで戻らねばなりませんでしたが、丘にある村々にも小さなワイナリーやワインセラーがあり、ワインセラーの店先に「冷やし中華始めました。」ばりに季節物でもあるブルチャークの看板がこれでもかと並んでいました。
村を出れば周りはぶどう畑で、遠くにディイエ川貯水池が見えてくるのですが、貯水池に近づくにつれてその景色が不思議とクロアチアとかモンテネグロの海辺の町や村に近づいている錯覚を覚えました。
潮の匂いもしなければ魚介レストランも無いのにです。
でも不思議な事になんか海辺の村、アドリア海の小さな村にいる感じがしてなりません。


なにがそうさせるのか考えました。
遠くに見える乾燥した白い土地、背の高く無い木々、空気の感じ、村に建つ単廊式の教会と赤い屋根の小さい家がそう感じさせるのかもしれません。


でも村に建ち並ぶ田舎風バロック装飾の家並みはチェコ感丸出しですから、それを見ると現実に戻ってしまいます。


さて村を歩いていると、そこそこ大きめのワイナリーではぶどうの除梗破砕作業が行われていたようで、ぶどうの皮で山積みのコンテナがありました。


隣り合って茎が山積みにされていました。
ワイン作りの季節です。
良い時期に来たと思いました。


ワインセラーやワイナリーの並ぶ小道を歩きます。


すると本当に小さいワイナリーでは1人の職人さんがぶどうの除梗破砕作業をしている所を見る事が出来ました。
これだけ小さいワイナリーだとワインの生産量も限られますよね。


さてTopolanskýと言う小さなワイナリーに立ち寄りました。
ここでも白ワインとロゼしかなかったので、「赤ワインは作っていないのですか?」と尋ねてみました。
すると店を切り盛りしている男前のおばさんがしゃがれた渋い声で答えました。
「パーラヴァは白じゃん。」
なるほど、ここパーラヴァ地区は白ワインメインだから赤は見かけなかったのですね。


試飲係にはまずブルチャークを飲んでもらいました。
モラビア、つまり本場で飲んでいるからかもしれないが…と前置きしながらも、プラハで飲むより断然美味しいと感想がありました。


さて、立ち寄った村の名前はPavlovです。
村の紋章がぶどうと鯉と言うオシャレな紋章でした。


ちなみにここパヴロフでも白ワインを購入しています。


モラビアでワインを飲みたいけれど、ミクロフ、ヴァルティツェ、ズノイモなど大きめの町ではなく、小さな村のワイナリーで飲んでみたい方にはPavlovは是非オススメです。もしくはパーラヴァ丘の小さな村に立ち寄ってみてください。
この季節、9月中であればブルチャークも飲めますよ。
でもしつこいようだけれど、錯覚であるのは百も承知なのだけれど、Pavlovは海辺の田舎村の感じがしたんですよね。
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2017.09.06 (Wed)

ミクロフ地域ワイナリー SONBERK

6月だったかな、プラハにある旅行会社のスタッフが興味ある話をしてきたのです。
-ソムリエの田崎真也さんって知ってます?田崎さんがお薦めのチェコワインを紹介しているんです。それがSONBERKと言うワイナリーで赤ワインのMerlotを推しているんです。-
その後、スタッフが実際にそのワイナリーSONBERKと近所のGOTBERGに出掛けて美味しいワインを楽しみ、ボトル購入したと言う話を聞きました。

なるほど。
それならば行かなくてはいけない。と思いながらも7月と8月は行けずにいたのですが、やっと行けました。


ぶどう畑を一望できる所で有料で試飲ができます。
遠くに見えるディイエ川を貯めたダムとパーラヴァの丘も絶景です。


しかし試飲メニューには赤ワインは見当たらず、白ワインしかありませんでした。
そこで、「赤ワインのメルローがめちゃくちゃ美味しいと聞いたのですが…」とワイナリーの女性に尋ねてみました。
そうしたら、驚愕の答えが返ってきたのです。
「確かにメルローは美味しいのですが、もう販売だけしかなく、しかも1本1970コルナするのです。」

はぁ?チェコワインで1万円!
これはさすがに手が出ません。

そこで白ワインから試飲ワインを選びました。
しかし、私は車だったのでプラハから引き連れて行った試飲係に2種類のワインを飲んでもらいました。
一品目は2015年Pálavaで、このワインは賞を獲得し、すでに残り80本しかないと言います。
試飲料1杯75コルナで、ボトルの値段は1077コルナでした。80本しかないと言うから購入するかどうか迷ったけれど、さすがに手が出ません。
試飲係の方曰く、濃厚で口に旨味が残る、との事でした。
そして、二品目は2015年のリースリングを選んだようです。試飲料は25コルナでボトルの値段は320コルナでした。


これなら手が出そうです。
そこで細矢はSONBERKワインを2本買いました。
ワイナリーの女性が2015年と2012年が当たり年だと言うので、2015年のリースリングと2012年のソーヴィニョンです。


SONBERKはPopiceと言う小さな町にあります。
地図で探してみて下さい。


チェコの著名人も出掛けているようですし、大型バスもワイナリー見学に来ていました。
↓ウェブです。

http://www.sonberk.cz/cs/


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2016.06.07 (Tue)

modrotisk 藍染

モラビアのStrážniceストゥラージュニツェに行ってきた。
モラビアの藍染を見るためだ。


1906年、ここストゥラージュニツェにチリル・ヨフさんが引っ越して来て、
藍染を始めた。


その後、息子のフランティシェク・ヨフ、その同名の息子フランティシェク・ヨフと続き、
今は5代目が活躍している。


そもそも企業として青染色の製造を始めたのはオランダのアムステルダムで、時は1678年。
その技法がドイツ、ボヘミア、モラビア、スロバキアへと広がったのだ。
1736年にはスロバキアのシャシュティンで製造されるようになった。


ヨーロッパで藍染?と首を傾げるかもしれないが、
ヨーロッパでも、と先入観を改める必要があるな。


現在、ストゥラージュニツェの工房はArimoという会社経営になっており、
建物の1階が工房、販売店、食堂などとして使われている。
その工房を入場料30コルナで見学ができるから、見学しない手はない。


工房に入ると、5代目だと紹介された美人染色師が白い生地に丁寧に型をあてていた。
完全なる手作業だ。


その生地を染色する。
5分浸して乾燥、これを5回行ってから、洗濯機で洗い乾燥させる、と言っていた。


そして完全に乾いたら生地のまま販売したり、手提げ袋やデーブルクロス、
ランチョンマット、エプロン、ネクタイなどを作り販売している。


ちなみにチェーン展開している雑貨店マニファクトゥラでも、
全店舗ではないが、ここの製品が販売されている。
ただ当然ではあるが直営店の方がお安い。


私はTシャツが欲しかったけれど残念ながらそれは無く、
ネクタイと思ったけど結構薄くてペラペラだったので、
無難に、手提げ袋とランチョンマット、65cm x 65cmの小さいデーブルクロスを買いました。


日本にはないチェコ、いや、モラビアらしいデザインの品々。
手作りだから同じデザインでも多少のバラツキがあるがそれも乙があって良い。
皆さんもおひとついかがですか。

↓ARIMOのウェブページ
http://www.arimo-modrotisk.cz/

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2016.04.22 (Fri)

モラビアの大草原

ここ2、3年でしょうか?
よく聞かれます。
モラビアの大草原について。
「はぁ?なにモラビアの大草原って…?」
と思っていました。


よくよく聞いてみると、なんだか、「しぬまでに見たい絶景」で紹介されたようです。
モラビアの大草原。
私も画像を見てみました。
率直に言うと、「カメラマンが巧い。」
いやはや綺麗に撮っていますね~。


でもね、「モラビアの大草原ってどこですか?」という質問はですよ、
「東北地方の水田地帯ってどこですか?」と聞いているようなものなのです。
そうなると、ピンポイントでここですよ!と答えられますかな?
また人によっては、北陸でも中部でも近畿でも四国でも九州でも、
「おらが地方でも水田地帯はあるぞ!」と言いますよね。


こちらも一緒です。
ピンポイントでここがモラビアの大草原です!とは答えられないですし、
なにもモラビアに固執する事もなく、ボヘミアにも似たような風景はあるのです。
チェコは国全体がほぼ丘陵地帯でなので、春、緑が茂ってくると、
いわゆるモラビアの大草原なる景色がチェコ全土に広がるのです。


でもどうしてでしょうか?
ネットで紹介されたからでしょうか?
モラビアに牧歌的なイメージを勝手に持ってしまうからなのでしょうか?
モラビアの大草原を見ておこうという気になりました。
ネットですでに行かれた先輩方の投稿を見、紐解いてみるとポイントが分かってきました。
Nesovice、Nemotice付近だろう。
車が無いと不便。
自転車移動はベター。
e.t.c.e.t.c.


なるほどなるほど。
Kyjovにレンタル自転車屋があるからそこでレンタルして体力勝負で全域を見る。
もしくはNesoviceまで電車で行って一日かけて体力勝負でハイキングする。
色々考えましたが、結局は移動に便利な車でぐるりと周ることにしました。


ブチョヴィツェ、ネソヴィツェ、フヴァルコヴィツェ、ニトゥコヴィツェ、
ネモティツェ、コリチャニ、キヨフ・・・を幅広く周りました。
ただ車は移動手段としては便利ですが、小回りが利きません。
「あっこの景色!うっ今!」で急に駐車できないのは不便です。
運転しながら「ここで停められれば・・・」と何度も思いました。


それでも何とか停車できる場所を見つけ、停車しては写真を撮り、
よりよい景色を求めるがために舗装されていない道を走り、
駐車して歩いていると、驚いた野生のシカが目の前を走り去り、
身を潜めていたキジが驚き、キーキー鳴きながら飛び去り、逆に私が驚く始末。
それでも綺麗な景色を見る事ができました。


時期はいつが良いでしょうか?
ずばり、4月から6月でしょうね。
冬から春にかけての天候も左右しますが、リンゴの花や桜の花が咲いています。
そして牧草も長すぎず短すぎず、麦もまだ緑。
5月になれば菜の花満開で真っ黄色。


7月になったら麦は黄金色。
8月になったら刈り取られ。
秋麦というチャンスはあるかもしれないけれど、やはり緑は春でしょう。
だから麦が黄金色に変わる前までに行くのが良いです。


緑が波打ち、空に雲があれば雲の影が緑に写り、
毎日毎日、同じ場所で違う風景が見えるのですね。


ここ!というポイントはありません。
あなたのモラビアの大草原を見つけましょう。
それがボヘミアでもかまいません。
春には波打つ大草原がチェコで見れるのです。


その景色を見たら誰しも、
「あぁぁぁ~。」
と心の中で叫ぶこと間違いありません。

私の中のモラビアの大草原に行ってきました。




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2015.08.26 (Wed)

レドニツェ・ヴァルティツェ景勝地 後

前回、8月頭に出掛けたレドニツェ・ヴァルティツェ景勝地について書いた。
あまりにも広すぎて時間が足りずエリア全域を周り切れなかった。
その悔しさが残り、先日また彼の地を訪問してしまったのだ。
もの好きな俺である。

まずはヴァルティツェから2kmほど奥地へ行った。
ここは景勝地エリアとしては最南端にある。
モニュメントはコロナーダだ。


コロナーダは丘の上に建っており、
ぶどう畑越しにヴァルティツェの町が一望できる。
月曜日以外はコロナーダの上に登れるのだけれど、
出掛けた日はドンピシャの月曜日でコロナーダニは登れず。
残念。


そしてここはもうオーストリアとの国境間近だ。
国境へ行けば今はなんのチェックも無く歩いて越境できてしまう。
しかし、昔は厳しいチェックをしていたであろう国境の建物が残り、
その建物は「鉄のカーテン博物館」なる展示場となっていた。
入場せず。


私は徒歩ではなく車で国境を越えた。
超えたすぐの所でぐるりと辺りを見回すと、
遠くにミクロフの町が見えた。
肉眼でははっきり見えたがカメラでは見えなかったか。


その後、再びチェコへ戻る。
舗装されていない裏道を通り、もうひとつのモニュメントへ向かった。
昔のオーストリアとチェコの国境に建てられた「国境の館」だ。


さて前座はこれぐらいにして、この景勝地のメインに行こう。
メインはやはりレドニツェ城。
まず脇目もふらず船着場へ向かった。
ボートに乗り水路でミナレットまで行くためだ。
2kmの距離を20分掛けて進む。
運賃は130コルナ。
舵をとる船頭は語る。
「レドニツェ・ヴァルティツェの水路、運河、小川はディイエ川の洪水対策のために作られた。
水位は年間を通して一定で、水深は1.5mほどだが、それと同じく1.5mの泥が沈殿している。
だから、ボートから落ちたら泥にはまって出れないから気をつけるように。
庭の木々には日本から持ってきた木もある。
ミナレットの頂上からは運が良ければウィーンのシュテファン寺院の塔が見える。
さらにはアルプスだって見えるのだ。」


前回、お城のガイドもシュテファン寺院の事を説明していたけれど、
本当に見えるのかな?しかもアルプスだって…。
確かにアルプスの終いはウィーンだけど、
よっぽど空気が澄んで天気が良くないと見れないだろうな。


一応ダメもとながらも期待を込めて、
302段の階段を登りミナレットの頂上へ進む。
天気は曇天だ。


レドニツェ城は綺麗に見えた。
列車の国境駅の町、ブジェツラフも見えた。
遠くを見ても、やっと風力発電の風車が見えるだけ。
さすがにウィーンまでは見えない。


再びミナレット船着場に戻り、今度は水路でヤン城に向かう。
約4kmの距離を40分掛けて進む。
運賃は160コルナ。
川沿いにはテントが張られている。
そばには釣り人がじっと座っている。
キャンプしながら釣りをしているのだ。
船頭の話によると、許可制で解放されているのだそうだ。
しかし一体、何が釣れるのだろう?
ナマズかな?


そんな川沿いの景色を眺めていると突然、城が見えてきた。
ヤン城である。


あえて瓦礫状で造られた19世紀初めのお城。
中世の古城をイメージしたのだろう。
ロマン主義である。


そこからは自分の足でレドニツェ城に戻る。
緑のトンネルを抜ける。


馬車が追い越して行った。


今回の訪問でもまだ全部見きれていない。
レドニツェとヴァルティツェの間にまだ見所があるのだ。
アポロン神殿や狩猟館など。
でも、とりあえず見たい物は見た。
景勝地も巡った。
レドニツェ・ヴァルティツェ・・・
そこそこに見たつもりになったが、ひとつ疑問が。
なんでここはユネスコなのかな。
ユネスコの基準が分からなくなってきている。
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2015.08.25 (Tue)

レドニツェ・ヴァルティツェ景勝地 前

スイスとオーストリアに囲まれた小国がある。
その名もリヒテンシュタイン公国。
リヒテンシュタイン家は経済、地位共に強大な貴族であった。
今でこそわずかな領土しかないが、1945年まではチェコに所有地が存在していた。
始まりは13世紀、モラビア辺境伯で後のボヘミア王プシェミスル・オタカル2世が贈呈した。
最初はミクロフを贈呈され、その後、レドニツェ周辺を所有するようになる。
ミクロフはディートリヒシュタイン家の物となる。
それから700年もの間、レドニツェ・ヴァルティツェ地域はリヒテンシュタイン家の定住地となった。
この地域はウィーンから北に80kmと離れておらず、
面積は約280㎢あり、160㎢のリヒテンシュタイン公国よりも広いのだ。
チェコスロバキア誕生前のハプスブルグ帝国時代であれば立地条件も最高だったであろう。

リヒテンシュタインは居城をヴァルティツェに構えた。
ザ・バロックの威厳ある城が今も残っている。


18世紀終わりから19世紀に掛けてリヒテンシュタインは土地を大改造した。
川を作り、島を作り、森を作り、北米の木々を植林し、温室を作り、
いろいろな文化的モニュメントを作り、つまりは箱庭の実写版といえば良いのか、
一大テーマパークを作り上げたのである。
日本が誇る東京ディズニーリゾートの面積の140倍の面積にあたるのだ。


すでにあった城も改築し、夏の離宮、レドニツェ城も作った。
19世紀半ばに訪英し、イギリス風ゴシックに憧れ、そのスタイルで建設した。
チューダーゴシックと呼ばれている。


城に招待された者は、徒歩なり、乗馬なり、馬車なり、果てはボートで、
その広大な土地に作られた一大テーマパークを散策する事が出来たのである。


森のような木陰を進んで行くとローマ時代の水道橋が現れ、


その遺跡風も出現する。


そしてメインモニュメントのミナレット。
高さ約60mあり、上に登ることができる。
今回は登る時間すらなかったけれど、お城のガイドさん曰く、
天気が良く空気は澄んでいると、ウィーンのシュテファン寺院の塔が見えるのだそうだ。
本当かなぁ?
ミナレットは1794年から1804年にかけて造られた。
キリスト教の地によくミナレットを建てたものだ。
ちなみに設計者はJosef Hardtmuth。
彼はチェコ文具メーカーKooh i Noorの設立者のひとりでもある。


梢にはコウノトリが住まう。
池には魚もいる。
今回は時間の都合上、水道橋とミナレットしか見ていないが、
他にもオベリスク、ダイアナ神殿、アポロン神殿、ゴシック風の廃墟となった城、
コロナーダ、狩猟館…多くのモニュメントがある。
当時の人は冒険感覚で散策したのだろう。


現代に生きる人間だってワクワク感は同じだと思う。
しかし半日では数か所しか回れない。
丸一日使ってもきついのではなかろうか。
ベストは宿泊し自転車と徒歩でモニュメント巡りをするのが良いのだ。


近年、ユネスコ世界遺産巡りで当地に訪れる団体があるけれど、
城の近辺だけさっと見ただけでは、
「なんでここがユネスコなの?」
となるのは当然なのです。
リヒテンシュテイン家が100年以上もかけて造り上げた景勝地なのですから、
ゆっくり時間を掛けて景勝地全体を見て回らないと素晴らしさは伝わってこないのですよ。


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2015.08.06 (Thu)

ミクロフ

海抜363mの聖なる小円丘に登る。
スヴァティ・コペチェクと呼んでいるが、
山頂には聖セバスチャン教会と鐘楼が建っている。


スヴァティ・コペチェクからは人口7500人ほどの小さな町を見下ろせる。


ミクロフだ。


ここはもうオーストリアとの国境に近い。
超近い。
資料によれば町の起源は知られていないが、1082年、時のボヘミア王ヴラティスラフが、
オーストリアのバーベンベルグ家を倒してからこの地域がボヘミア領となったとある。
そのすぐ後、モラビアとウィーンを結ぶ交易路として丘に城が築かれた。


1249年から1560年まではリヒテンシュタイン家が、
1575年から1945年まではディートゥリヒシュタイン家が領有していた。


町の高台にあるのがミクロフの城だ。
第二次世界大戦で被害を受け、修復後は地域博物館になっている。
時間の関係で見ることができなかったが、城のワインセラーには巨大なワイン樽がある。
その巨大さといったらとてつもなく中欧で2番目に大きく、容量は1014ヘクトリットルもあるという。
ワインボトルにすると135000本分になる。
ちなみにミクロフはチェコワインの名産地なのだ。
ミクロフに出かけた際は是非ワインをお試しあれ。
暑い日に冷えた白ワインは最高だ。
もしくは白ワインと炭酸水で割った物も飲みやすい。
střikで通じるはずだ。


さて城に行き、テラスからスヴァティ・コペチェクを見た。


さらに敷地内を進んでいるとふと思い出した。
昔々プラハ城内の黄金の小道付近にあったモニュメントがミクロフ城に移されていた事を。
敷地内を歩き、探すと中庭に設置されていた。
懐かしさのあまりつい撮影。


広場にあるディートゥリヒシュタイン家墓所教会を見学し、
町から少し離れたコジー・フラーデクに登った。
山羊の小城という意味。
なぜ山羊なのだろう…?


ミクロフに来たのはもう15年ぶりぐらいか。
近くを通ることはあっても町に入ることはなかったものなぁ。
しかしまあ綺麗に修復されて可愛らしい町に戻ったものだ。


後日投稿予定のレドニツェ−ヴァルティツェ景勝地と併せて訪れる価値はある。
特に夏、まさに今だ。
自転車に乗ってブラブラ田舎道を走るのは最高なんだ!

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2015.05.21 (Thu)

プンクバ洞窟

チェコ東部、モラビア地方にはモラビアカルストなる地域がある。
このカルスト地方には少なくとも1000もの洞窟がある事が知られており、
安全とみなされた洞窟は一般公開されている。
その中でも特に有名で人気のある洞窟がプンクバ洞窟。

どこにあるのか?
まずは地図でBrnoから北に位置するBlanskoを探そう。
Blanskoの東一帯がモラビアカルスト地方なのだ。


プンクバ洞窟への道はふた通りある。
skalni mlynからとmacochaからだ。
詳しい地図であれば小さく記されているはずである。
5月19日時点ではskalni mlynの駐車場からプンクバへ続く道路が通行止めで通れない。
よってさらに車を走らせ丘を上りmacochaまで行かねばならない。
macochaはプンクバ洞窟の入り口のほぼ真上に位置している。

macocha深淵は深さがなんと138.7mもある。
上小橋から見下ろした景色だが、スマホを落とすかもしれないと恐怖したため、
下の様子がよく分からない画像になってしまった。


ちなみにmacochaとは継母と言う意味だが、こんなお話がある。

ヴィーレモヴィツェ村に農夫、奥さん、男の子マルティンの一家が幸せに暮らしていた。
しかし奥さんが病気で亡くなってしまう。
残された農夫とマルティンは悲しみに暮れていた。
年月も過ぎ、農夫は家政婦と結婚し、新たに子供も授かり、再び幸せな生活が戻って来た。
ただこの事はマルティンには不幸の始まりとなった。
自分の子供を特に可愛がった継母はいつもマルティンには冷たくあたり、叱り続けてたからだ。

ある日、農夫は新しい子供を連れて町に出掛けた。
家に残った継母とマルティン。
継母はマルティンに言った。
「森にはイチゴがいっぱいなってるから摘みに行きましょう。」
イチゴを一杯摘み、さら森を歩いていると突然、村人もあまり行かない所まで行きついた。
そこは息をのむほど深く、底無しと伝えられている緑の湖がある黒い深淵だ。

継母とマルティンは立ち止まり、そこから引き返そうとしたが、
継母は深淵の崖にとてつもなく立派なイチゴがあることに気づいてしまった。
そしてマルティンに優しく言った。
「あんな立派なイチゴを摘まない訳にはいかない。摘んでおいで。」

マルティンは怖がったが、継母に叱られるのを嫌がり断れなかった。
深みを覗いた時、継母の手がマルティンの背中に触れ、
マルティンは奈落の底へと落ちてしまった。

マルティンの叫ぶ声を聞きながら逃げる継母。
森の中を逃げ惑っていたが、彼女の罪は逃れられないものだ。
継母は良心に苛まれ深淵に戻って来、身を投じてしまった。

農夫が町から帰って来たが家には誰もいない、暗くなっても帰ってこない。
隣人に問うと、イチゴを摘みに行った事を知る。
あてもなく森を探しまわっていると、件の深淵にたどり着いた。
そこからかすかな泣き声が聞こえる。

農夫が深淵を覗きこむと、崖に生えている松の木の枝に吊り下がっているマルティンを見つけた。
大急ぎで村に帰りロープなど救助に必要な物を準備して深淵に戻り、なんとかマルティンを救った。
農夫は昏睡しきっているマルティンに尋ねた。
「お母さんは?」
と同時にマルティンの身に何が起こったのかも悟った。
そして、崖の中腹の茂みには引きちぎれた彼女のショールが見つかった。

それ以降、ここは継母、macochaと呼ばれるようになり、
今でも嵐の日には森を抜ける風や雷の音と共に、彼女の泣き声が聞こえてくるという。

不幸な継母のお話。

あぁぁ怖い。

話を戻す。
上小橋から280mほど歩くと下小橋に行くことができる。
下小橋から上小橋を見上げた。


再び上小橋へ戻りロープウェイでプンクバ洞窟入り口に向かう。
上小橋から洞窟入り口まで徒歩で行くことも可能だが、
その標高差は約100mもあるのだから徒歩だと途方に暮れてしまうので、
ここはロープウェイを利用するのをお勧めする。
往復90コルナ。


ロープウェイで下るとすぐプンクバ入り口が見つかるが、
只今、入り口ブースの大工事中であった。
この工事の関係でskalni mlynからの道が通行止になっていたのだ。
11:00、チェコの小学生一団と共に入場。
徒歩650m、ボート450mの大冒険の始まりだ。


いまだに成長している鍾乳石、残念ながらもう成長しない鍾乳石と両方あるが、
今も生き続けいている鍾乳洞である。


フクロウに見えたり、小人に見えたり、パイプオルガンに見えたり、
いろんな形に見える鍾乳石だが、全て自然の力で形成されている。


ロミオとジュリエット。
もう成長しない鍾乳石。
だからもう絶対にくっつかない。
あと10cmぐらいなのに…。
しかし仮に成長していたとしても10cm伸びるのに750年近くかかるそうだ。


カーテン。


天使。


と見て行くと突然外に出る。
とても神々しい。
実はここはmacochaの底である。


見上げると下小橋から小学生グループが手を振っているのが見えた。


そしてここからボートに乗ってプンクバ小川を進んで行く。
乗船中は撮影禁止である。
一度、マサリクホールで下船。


1920年、時のチェコスロヴァキア大統領T.G.マサリクが訪問した事から彼の名が付いた。


竹林。


再び乗船し、進む。
頭に気を付けないと怪我をするのは間違いない。
スリル満点の見学である。


そして1時間後、ついに見学終了。


人気があるため夏場は要予約だ。
たかが鍾乳洞と言うことなかれ。
スロベニアのポストイナ鍾乳洞の方がスケールはもちろんでかい。
でも、チェコにだって鍾乳洞があるんだ。
ぜひ出掛けてみよう!
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15:08  |  モラビア地方  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑
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