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2013.04.03 (Wed)

プラハを探す 鷲を運ぶ獅子

旧市街広場からツェレトナー通りを進んでみよう。
広場から火薬塔を結ぶ道だ。

そのツェレトナー通りのほぼ真ん中辺りに、
CARETT MILLESIMOVSKY PALACが建つ。

美味しいと評判のPasta Frescaの隣、
カレル大学の本屋さんの対面の建物だ。

このプレートに建物の歴史が記されている。
簡略すると、もとはゴシックの建物を1750年にバロック化。
西側部分にはロマネスク式が残っており、
19世紀はカジノとして利用されていたようだ。

では次に、建物の入り口を見てみよう。

バロックの入口には石造の紋章が付いている。

紋章のメインは双頭の鷲の彫刻だ。

二つの頭を持った鷲なので双頭の鷲。

二つの頭が東と西を向いているということで、
東ローマ帝国、神聖ローマ帝国の紋章として使われていた。
ローマ帝国の後継と自負していた神聖ローマ帝国の紋章は、
ハプスブルク家の紋章として使われていたのは有名である。

しかし、今回は双頭の鷲には着眼点を置かない。
その下、鷲の下をよ~く見てみよう。
王冠をかぶった獅子がいる。
この獅子が今回の主役だ。
王冠をかぶった獅子はボヘミアの紋章である。

2本の尻尾を持つ王冠をかぶった銀の獅子は、
13世紀からボヘミアの紋章として定着した。

本来なら勇猛果敢な獅子として表現されねばならぬのに、
この彫刻の獅子の顔を見ると、なんとなく寂しげな、
悲しげな、哀れな表情をしているように見えないだろうか?

「わたくし、そんなつもりは毛頭ないんですけど・・・トホホ。」
とでも言わんばかりだ。

なぜそんな浮かない表情をしているのだろうか?
あくまでも私見だが、私はこう思う。
それは、ボヘミアの獅子が双頭の鷲が乗る車をひかされているからだと。

これではボヘミアのプライド丸つぶれである。

建物がバロック化した1750年はマリア・テレジアの時代だったとは言え、
それよりもだいぶ前、14世紀のプラハは帝国の都だったんだ。
そのボヘミアの獅子がなんたる醜態…。

だからこのデザインはボヘミアにいる私にはちょっと悔しい。
もう私もボヘミアンだ。


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