2013.12.31 (Tue)

お疲れヤリス

プラハに来て6年と9か月目の2003年12月17日。
誕生日の12月17日に思い切って購入した物が届いた。
それは、それまでの自分のプラハ生活では必要ないと決めつけていた物だった。

もしくは、あったらあったで良いけれど、
持つ必要はないだろうと思い込むようにしていたのかもしれない。

でも…と、2002年7月にある免許を取得して考えが変わった。

それまで持っていたある国際免許の有効期限が1年で、
それを再取得するために帰国するのが面倒になり、
チェコの学校に通ってチェコのある免許を取得したほうがベターだと考え、
学校に通い、試験も受け、そのある免許を取得して、考えが変わったのだ。

ある免許、ある免許って回りくどいっ!
そう、ある免許とは自動車運転免許のことである。
私はチェコの自動車教習所に通って、チェコの自動車免許を取得しているのです。

免許があると運転したくなるし、然らば自然、車が欲しくなる。

薄給の私は何とかやりくりし、2003年12月、車を買ったのでした。

その車はヤリス。
日本名ヴィッツである。

車を買ったら行動範囲が広がる。
いろんな所に行った。
チェコ国内はモチロンのこと、近隣諸国、遠距離、行ったな~。
当時はドイツからチェコに向かう高速道路がなかったし、
国内の高速道路も今以上に途切れ途切れだったりして、
所要時間も今とは比べものにならないほど掛かったんだ。

ヤリスがどこに行ったか思い出して見た。

2004年8月
クロアチアはイストリア半島のプーラ、ロヴニィ、ポレチュなど。
海でぼーっとした。

2005年3月
クロアチアのドブロヴニク、ボスニア、モンテネグロ、アルバニア。
アルバニアの穴ぼこ道に泣いた。
決してデコボコではなく、穴ぼこ道なのだ。

2005年7月
またまたクロアチアのプーラ。
海でボーッがやめられなくなっていた。

2006年7月
クロアチア・スロヴェニア5泊6日。
ポストイナ鍾乳洞‐洞窟城‐プーラ‐ロヴニィ‐ポレチュ‐
ピラン‐リュヴリャナ‐ブレド湖‐ハルシュタット。
プーラの円形競技場でホセ・カレーラスを聴いたんだっけ。
ここから山や湖も行くようになった。
そして、ただただ楽しかった。

2007年7月
旧ユーゴ6泊7日。
セルビアのベオグラード、
モンテネグロのジャブリャク、オストログ修道院、ブドバ、
クロアチアのドブロヴニク、
ボスニアヘルツェゴビナのモスタル、サラエボ。
ジャブリャクでのトレッキングがクライミングになったり、
オストログ修道院に感動したり、
ブドバで参加したエクスカーションの青の洞窟がめっちゃ綺麗だったり、
サラエボで感慨にふけたり、また行ってみたい所だ。

8月
スロヴァキア
タトラ、スピシュスキー城、バンスカーストゥシェショヴィツァ、ヴルコリネツ。
41度の温泉に入ったっけ。

9月
クロアチアのプリトヴィツァ国立公園。
秋に行ったから今度は春に行ってみたい。

2009年7月
モンブランを見るツアー(4泊5日)
ハイジの村、ルガーノ、トリノ、アオスタ、シャモニー、バーデンバーデン。
ハイジの村で雨だったのでなぜか怒られた。
トリノは期待以上に良く、アオスタは可愛い綺麗で驚いた。
モンブランを眺め感動。
いろいろな山を見たが、山はやはりアルプスが最高だと確信した。

2010年7月
ユングラフフラウとツェルマット(6泊7日)。
ミューレンという村に泊まり、ハイキングや氷河、滝見学を満喫。
マッターホルンを拝み超感動!
ハイキング、トレッキングがマジで好きになった。
帰りにストラスブールに泊まったが、予想以上の綺麗さに笑みが絶えなかった。

他にも…
ポーランドのクラコフとヴィエリチカ塩山、アウシュビッツ。
ミュンヘン、ノイシュヴァンシュタイン城。
シュツットガルト、ウルム、ベルリン、ザルツブルグ…。

カタカナばかりでどこなの~?ってなったらすみません。
ちょっと自慢も入ってるかもですみません

でも、そのヤリスも今年2013年で10年選手。
まだ11万キロしか走っていないけれど、いろいろ考えた結果…、
引退して頂くことにしました。

そう言えばヤリスの写真って撮ってなかったな。

2013年12月27日、誕生日&クリスマスプレゼントとして、
新たに共に動き、走る合い方がやって来た。


オーリスツーリングスポーツだ。
さ~て、君にはどこへ行ってもらおうか?

そしてヤリス様、10年間お疲れ様でした。

2013年締めブログです。
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20:55  |  くだらないけど・・・の話  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2013.12.29 (Sun)

プラハで食べる vol.59 MLEJNICE

食べるシリーズvol.27ですでに紹介している店のムレイニツェ。
人気があるのだが、店舗が狭く、いつも満員。
せっかく行っても入れないこと多し。
だから、足が遠のいてしまっていた。

先日、カプロヴァ通りを歩いていたら、交差するジャーテツカー通りに、ある看板を発見。
看板にはMLEJNICEとあるではないか!
その時はまだ開業前で工事中だったけれど、本日、めぐ姫と他二名、そして私の計四名で行って来た。

食べた物はvol.27と同じになりグラーシュ。
でもここのグラーシュは普通のグラーシュとは異なる。

じゃーん。

パンが器になってます。

フタを開けると…、
じゃーん。

ビーフシチューみたいな感じ。

スプーンでほじほじ食べていくと…、
じゃーん。

パンに味が染み込んでいて、ほじくりが止まらない。

ムレイニツェジャーテツカー通り店。
vol.27で紹介したコジュナー通り店と全く同じ店。
ここも近いうちに満員御礼になるだろうな…。
でも、座席数もコジュナー通り店に比べればだいぶ多いから、入店できる確率も高いだろう。

店のシンボルは内装です。
じゃーん。

農工機具です。

グラーシュをぜひお召し上がれ!
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15:32  |  プラハで食べる  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2013.12.24 (Tue)

にゅるにゅるニュルンベルク

12月某日。
朝8:30ミーとニョロニョロと待ち合わせ、その後ひたすら西走。
12:00ごろ第1目的地に到着。


このアングルがこの町のシンボルかな…
ここは可愛い町なのである。


シュミードガッセ通りを歩き、中心の広場へ向かう。

途中シュネーバルというお菓子を扱っているお菓子屋さんが並んでいる。


ひも上の生地を球体にして揚げたお菓子である。写真のはミニタイプで普通は直径10cmぐらいある。


もそもそ感があり、牛乳が欲しくなった。
それにしても私の手はかわいい。


広場にはクリスマスマーケットが。
日本からのツアーもたくさん訪れていた。
その中、ミーとニョロニョロもマーケットを物色。


こじんまりとしているが、町全体がクリスマスだからなんかワクワクする。


そして、有名なクリスマスヴィレッジに入店。
店内は迷路のような感じになっており、
扱っている商品は全てクリスマスグッズ。
かれこれ5年前かな?
ある方がこんなボケをかました事を思い出した。
「わぁーっすごいっ!クリスマストーナメントがいっぱい!」
戦うんかい。オーナメントである。
あの方は本当に面白い方だった。


小さな町だからすぐ一周してしまった。


そう、ここはローテンブルグでした。

そこから今度は東へ。
15:30ごろ次の目的地。
タイトルにもあるニュルンベルク。


ニュルンベルクのクリスマスマーケットは有名だ。


ミーが発見した。
窓と日時計が子どもの顔のようだ。
かわい~い!


デューラーハウス。
ニュルンベルク産まれのデューラーが亡くなるまでの19年ほどこの家で暮らしていたのだ。
デューラーは私の好きな画家のひとりだ。


カイザーブルグを見上げる。


そしてまた市場に戻ってきた。


規模は大きくて楽しいんだけど…、
イルミネーションはプラハが圧倒的に綺麗だな。


でしょ。

こんな景色をバックにお姫様だっこしてみたい。
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00:48  |  ドイツ  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2013.12.21 (Sat)

プラハで食べる vol.58 HUSA

違いが分かる男…
ではなかった。

少なくともひとつ分かったとすれば、
臭みがあれより強くないことぐらいか…。
それぐらいで、あれとこれの違いがよく分からなかった。

あれとこれの違いは何かかと言うと、
kachnaとhusaの違いである。
前者がカモで後者ガチョウだ。

この日、友人のニョロニョロとランチに行くことになり、
何が食べたいか尋ねると、ニョロニョロが言った。
「久しぶりにスヴィチコヴァを食べたい。」
だから安くて美味しいチェスカークヒニェに行ったのである。

私はこの日、スヴィチコヴァやグラーシュの気分ではなかったので、何を食べるか迷ったが、メニューをよく見るとガチョウのモモ肉があったので注文。


ローストガチョウと紅白キャベツとクネドリーキ。

見た目はローストダックと同じである。
まあ、気持、ガチョウの方がカモよりスレンダーか?
このモモ肉がたまたまスレンダーだったのか?

見た目は同じとは言えども、味は違うだろうと期待したのだが、皮のカリカリ感、肉のパサパサ感、脂身のトロトロ感もカモと大差ない。
前述の通り、臭みが幾分カモのそれと比べると弱いぐらいだった。

ニョロニョロと共に食べていると、
チェコ夫人ふたりが隣に座ってきた。
チェスカークヒニェは混んでいることが多く、よく相席になるのだ。

彼女たちはふたりして白身魚のフライとポテトサラダ。
食べながら、
「あらっ、ここのポテトサラダはドブリーじゃない。」
とポテトサラダを褒めあっていた。

そのあとすぐ、私のガチョウを見たチェコ夫人のひとりがボソッと言った。
「彼のカモも美味しそうね。」

結局、違いが分からなかった。
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15:10  |  プラハで食べる  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2013.12.19 (Thu)

吐かせたろうをめざして レッスン24

やる時はやる。
時間があるのならやる。

前回まで2か月間も空いたが、できるなら間髪入れず、
身体が忘れる前に、続けざまにレッスン!

でもやることは不変の基本。
右ひじ、右手首。

そして、ネックを握る左手。
その中でも親指のリラックス度の確認。
親指が力むと手全体が力んでしまう。
力まぬよう親指をリラックスさせると、
人差し指でしっかりと弦を押さえられなくなる。
すると必然、他の指も押さえられなくなる。
手全体を、手の個々各所を力まず柔らか~くキープできないといけない。

また矯正ポイントが増えた!

しか~し、2月からスローペースでレッスンを受けてきたが、ついに来た!


チェコの人気作曲家、アントニーン・ドゥヴォジャーク作の新世界より ラルゴ

「遠き山に日は落ちて」である!

ついに…来た…。
感無量でウルウルである。
が、弾き始めてすぐにイライラ。

写真にある青ボールペンで記された大カッコのド♯ ミ ミからができない。
スラー、トンネル、そしてド♯。
うまく押さえられない。
全くを持って駄目だ。

だから弓の動きも雑になる。
遠き山でゴジラとガメラが戦っているかのような雄叫びが響き渡る。

見兼ねた師匠も、「一小節ずつクリアしていくように。」と、
自らの楽器をケースに仕舞いながら吐き捨てるように呟く。

その通りだ。
またモチベーションが上がったぞ。

次のレッスンは年明けだから、それまで特訓だ!
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23:11  |  吐かせたろうをめざして  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2013.12.18 (Wed)

ナロゼニニー。

12月17日は私の誕生日。
夏目雅子、西村知美、牧瀬里穂と同じ誕生日。

朝、特に用もないのでゆっくりと9:30ごろに起床。

ありがたいことにたくさんの祝メールが来たので、
返事をしているとあっという間に昼近くになった。
11:00すぎ、大家から電話があり、
クリスマス前パーティーをするから来いと招待がある。
3年ぐらい前からイベントを共に過ごす特別な人がいなくなった私は、
この日も特にすることがなかったので快諾。

それまでの時間、ジムや事務巡り。

夕方18:00過ぎ、パーティー会場でもある我が家敷地内のザーメチェクに足を運んだ。


参加者は親戚関係かと思っていたけれど、
大家の仕事上の知り合いや使用人家族など、
少数ではあるが色んな階層のチェコ人が参加するパーティーだったようだ。
大家夫人に紹介されても完全アウェー。
内心思った。
「とんでもねえとこ来たな…。」

スープ、メインととても美味しい食事を頂きながら、
上層階級のテーブルに座る羽目になった私は、彼らの話を聞いていた。

お土産でもらったスープ。


お土産でもらったメイン。

最近チェコ語脳を使っていない私だが、なんとか話を聞いていると、
以下の話が繰り返し話されていた。

ドイツにいる息子とスイスにいる娘の話。
ハンブルグ時代の話。
ドバイ旅行が良かった話。
オマーンは思っていたより良くなく残念だった話。
以前買ったキャットフードには肉が4%しか含まれてなく猫も食べなかったという話。
化学調味料が入った物は極力食べない話。
まあ、軽い自慢話ばかり。


その間、大家夫妻は客人のケア。

メインも食べ終わり、ワインを飲みながらの歓談中に大量のデザートが運ばれて来た。
一同目が点となる。


お土産でもらったデザート。

なかなか手を付けないでいると、大家夫人が私の隣に座る男性に尋ねた。
「あなた、このケーキはどんなのか知ってる?」
男性は「知らない。」と答えた。
すると夫人はこう言った。
「じゃあ食べなさい。食べたらわかるから。」

その数分後、夫人は私の所に来て尋ねた。
「モト、お前食べてるのか?」
私は「もう、3個も食べた。」と答えた。
すると夫人はこう言った。
「数えなくていいから、食べなさい。」
この夫人は機転が早い。
彼女のユーモアセンスは大好きである。

しばらくしたら、使用人一家の主が、モト!と呼んで、
ワイングラスを持ってこっち来いと手招きする。

一家の座るテーブルへ行くと、
「お前が何も話していないからこっち呼んだんだ。」
と親切心から誘ってくれたようだ。

もう少し上層階級の話題を聞いていたかったけど、内心ホッとした。
その主とは顔見知りだったからだ。

すると今度はサッカーの話、飲みの席の失敗談、
スーパーマーケットに行った時の話など。

結局は聞き役だった。

22:30ごろ上層階級が退席し、その後24:00ごろまで大家夫妻、
使用人家族、私と話し、笑い、そして解散と相成った。

まあ、彼らはこの日が私の誕生日だったことは知らない。
でも、私の中では楽しい誕生日パーティーになった。

言語脳痛がしてる感じがするけどね。
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18:58  |  くだらないけど・・・の話  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2013.12.16 (Mon)

プラハを探す 広島物産陳列館

広島市を流れる元安川沿い、相生橋のそばに、
今も残る広島物産陳列館をご存知だろうか?


チェコ人建築家ヤン・レツェルの設計で1915年に建てられた。


このヤン・レツェルは1880年4月9日、北ボヘミアはナーホドゥで生まれた。
1901年から1904年までプラハの芸術産業学校でヤン・コチェラの下、建築を学ぶ。
かなり出来の良い学生だったようだ。
就学後の1905年にはプラハに建つホテルエヴロパの一部を手掛けている。
ホテルエヴロパはカフェシリーズ100回目に登場したあのホテルである。

その後、南欧、エジプトと渡り、エジプトでドイツの建築会社のオーナーと知り合い、
プリンス・ルドヴィーク号で香港経由で日本までやって来た。

ドイツの建築会社には長くは勤めず、
チェコ人機械エンジニアのカレル・ホラと知り合い、
1909年にレツェル&ホラ社を設立した。

ちなみにカレル・ホラは和歌山県出身のふくさんと結婚している。
ふくさんはチェコに渡り、亡くなるまでチェコで生活したのだ。
明治時代からチェコ男に惚れるなでしこがいたのである。
詳しくはこの本をどうぞ。


話を戻す。
建築家ヤン・レツェルは日本人には馴染みのないヨーロッパスタイルの建物を建て始めた。

以下にヤン・レツェル設計の建築物を紹介しよう。
1909年:聖心女学院
1910年:雙葉女学校
1911年:長與男爵邸
1911年:日本私立衛生会館
1913年:松島パークホテル
1914年:上智大学
1915年:広島物産陳列館
1915年:東京ステーションホテルの内装
1917年:上野精養軒
1917年:宮島ホテル

3代目の神戸オリエンタルホテルにも携わっている。

数ある建築物の中でも、1915年に建てられた広島物産陳列館を知らぬ者はいまい。
30年後の1945年8月6日、米国空軍による原爆投下後はこう呼ばれるようになったからだ。

原爆ドームと…。


1920年に一度プラハに戻ったヤンはまず商務省で勤務し、
その後、貿易分野でのチェコ日本協会に献身する。
1922年、再び訪日するも、1923年9月1日関東大震災で被災する。
彼の手掛けた建築物は崩壊してしまった。


その後チェコに戻り、1925年12月26日他界。
享年45歳であった。
若すぎる。

ヤン・レツェルはチェコでの実績がないためチェコではあまり知られていない。
でも、チェコテレビで特集番組が放送され、
今もインターネットで見ることができる。
チェコ語だけどね…。
↓クリック
ヤン・レツェル

1932年から1933年にかけて、こんな建物が建てられた。
プラハ市のフランティシェク河岸通りである。
建築計画はは1925年からあったという。


建築家の名はヨゼフ・ファンタ。
プラハ本駅を建てた建築家だ。


広島物産陳列館とは約20年のズレはあるし、
建築時にはすでにヤン・レツェルはこの世にいないけれど…
なんか似ている。

チェコ産業貿易省である。

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2013.12.15 (Sun)

プラハで食べる vol.57 Pražská šunka

プラハハム。
ホスポダで食べたことはある。
しかし、クリスマスマーケットや他の市場では食べたことがなかった。
なぜなら値段が高く、その値段を払うなら、もっと別の美味しい物が食べられるというのが理由だ。


プラハハム。
旧市街広場価格は100gで89コルナ。

量り売りである。
チェコ人客は屋台のおっちゃん、お姉ちゃんに希望の量をリクエストしているが、外国人ツーリストはハム切り落とし職人のさじ加減で量が変わる。

本日、初めて旧市街広場のクリスマスマーケットでプラハハムを食べた。
私はチェコ語で頼んだが、量のリクエストは敢えてしなかった。
どんだけ来るか興味があったからだ。


直径約20cmの皿にドーンッ、425g。
しめて378コルナ!

うわぁーおっ!約2000円越え!
美味しいんだけど、やっぱやめとけば良かった…。

みなさん、ここで食べる時は2~3人で食べることをお薦めします。


マーケットでのプラハハム。
話のネタ作りだ…!
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