2014.09.30 (Tue)

プラハを探す トロヤ城のメインホールの天井画

プラハの中心地からだと北。
カレル橋の下を流れたヴルタヴァ川がグニャッと曲がって東へ流れ、
その後、Uターンのごとくグルゥゥ~っと弧を描いて流れが西向きに変わり、
で、また90度曲がって北に行くぞ!って辺りの川沿いにバロックの城が建つ。


城の名はトロヤ城。
もともと普通の村で、あんまり有名でない貴族のアルジュベタ・ポリクセナ・デンブリンスカーが、
羊小屋とかトロイ戦争のモチーフの装飾がある館を持っていた。
1669年、デンブリンスカーさんは破格の値段でシュテルンベルク家に売却し、
1678年、ヴァーツラフ・ヴォイチェフ・シュテルンベルクが夏の居城として建てた。

今は美術館になっているのだけれど、メインホールの天井フレスコ画が圧倒される。
テーマはハプスブルグ家の「ウィーン近郊でのトルコ軍への勝利」で、
1683年にトルコ軍によってウィーンが包囲された、
いわゆる「第2次ウィーン包囲」でのハプスブルグ家の勝利についての絵である。
絵の内容については当ホールに行くと説明書きがあるので、
それを読んで理解してもらことにして、ここではご案内しない。
なぜなら、今回はもっと子供騙し的な事をお伝えしたかったからだ。

このフレスコ画は天井に描かれているのだが、
ホールに入ったら真上ではなく、壁よりのフレスコ画を見ながら歩いてみよう。


天井は船底を逆さまにした変形丸天井だから・・・
描かれている柱が曲がっているではないか!


ホールの中央に来ると柱は直立している。


そしてゆっくり進んで行くと…


また柱が曲がり始めた!


グニャ。
なんか気持ち悪くなってきた。


って、こんな子供騙しでした。
機会があったら見てみてくださいな。

近くにはプラハ動物園もありますよ~。
スポンサーサイト
メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
10:31  |  プラハを探す  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2014.09.26 (Fri)

プラハでネアルコ 最高のNEALKOを求めて 

先日、禁酒宣言をしてから早1週間。
宣言通り酒を口にしていない。
だからなのか・・・体調万全だ。
この調子で言ったら年末はどんな体調になっているんだろう?
楽しみでしょうがない。

「ストレスはたまらないの?」
と人は思うかもしれない。
でも不思議とストレスはたまらない。
良い傾向だ。
さらに、最近、寒くなってきて全くピヴォ気分がでない。
寒くなったのは、禁酒するのにとって逆に良かったのかもしれない。
どうしても、ピヴォりたくなったら、これを飲めば良いのだ。


ノンアルコールピヴォ。


でも人は言う。
これじゃダメじゃん。
ピヴォはピヴォじゃん。

でも俺は言う。
これでいいじゃん。
ネアルコじゃん。

普段、飲食店では瓶ビールのネアルコを扱っている店が多いけれど、
もし店にあるのであれば、やっぱり生ネアルコが美味しい。
今回はヴァーツラフ広場にあるピッツェリア「コロセウム」で生ネアルコを頂く。
冷たさがいまいちだったな~。

そうだ、ネアルコの種類は限られているけれど、
美味しいネアルコを出す店を探し求めてみよう。

プラハでネアルコ。



メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
17:41  |  プラハでピヴォ  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2014.09.24 (Wed)

Červená Lhota チェルヴェナー ルホタ

チェコにはたくさんの城が建っている。
城と言っても、日本人が見たら、
「へっ?これが城なの?」
と首を傾げるタイプの物もある。
だって、プラハ城だって城なんだから。
そもそも城にはこんな意味もある。
“その地区、場所を守る建物”
その意味を知ればプラハ城はプラハを守る建物のだったと言う事が分かる。


他にも日本語では「城」と一緒くたにする傾向があるが、
チェコ語では防衛目的に建てられた頑丈なタイプの城をHradと言い、
住居を目的にし、快適さを追求した城をZámekと言う。
ドイツ語でもburgとschlossで使い分けしている。


地方豪族が群雄割拠していた時代は、敵が攻めてきても守り易い砦・要塞、いわゆるhradが必要だった。
封建制が進むことによって争いごとも減り、快適さを求めるようになるとhradをzámekに立て直したり、新築したりした。
絶対王政が確立すると王家が豪華絢爛な宮殿を建て始める。シェーンブルンやベルサイユなどだ。
その後、19世紀になると統治者たちは昔のタイプのお城に憧れ古典的な城を建てる。ノイシュヴァンシュタインが有名だ。
こんな流れで、城のタイプも変わっていったのである。


写真の城は南ボヘミアにあるČervená Lhota チェルヴェナー ルホタだ。
もともと14世紀にフラデツ家の領地にルホタと言う名の村ができた。
1530年ごろにカーバ家がルホタを買い取り、ルネサンススタイルの城に建て替えた。
そして村の名も新しいルホタに変わった。
1597年、ヴィレーム・ルトゥが新しいルホタを買い取り、
1602年からチェルヴェナー・ルホタの名に変わった。
城の色が赤になったからである。
赤=チェルベナーなのだ。


伝説がある。
この城に住んでいた不道徳な夫人が城で悪魔と出会い、窓から連れ去られてしまった。
彼女の亡骸は結局見つからなかったが、連れ去られた時に壁に付いた血痕だけが残った。
その血痕は消しても消しても消えない。
止むを得ず、壁に付いた血の色と同じ赤色で城全体を塗った。
故に城は赤色をしているのだそうだ。


嘘か真か…
メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
11:18  |  ボヘミア地方  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2014.09.19 (Fri)

どうでも良い話。禁◯

有言実行が良いのか、無限実行が格好が良いのかはわからない。
私の場合は事柄によっては有言実行の方が合っている。
だからと言ってこんな場で書いて何になるんだろう?
でもね…、このままではダメになるんだ。
精神も肉体も…。

チェコに来て18年目の今、ここに来てようやく決心した。
それは…酒を止める。
まず今年はもう飲まないようチャレンジだ。

無理だ!と言うことなかれ!
私は真剣なのだ。

ご存知の通り、この国はピヴォが美味しい。
ワインはそこそこだが、隣国には美味しいワインがあるので、日本と比べれば安価で美味しいワインも手に入る。

それに甘えていた。
この18年、日数を数えても酒を飲まなかった日の方がはるかに少ないんだ。
身体に深刻な異常をきたしている訳ではないが、メタボ感は否めない。
もう十分飲んだだろう?自問する。
うん、確かに十分飲んだ。
じゃあもういいんじゃないかい?

周りの者は言うだろう。
控えめにすればいいじゃん。
休肝日を設ければいいんだよ。

しかし、そんな中途半端ではダメだ。
完全に決しないとダメだ。

そこで酒を止める決意に至った。
まずは2014年、あと3か月だが、止めてみよう。
いや、止めてやる。

決意は硬い。
どなた様も誘惑すんじゃねーぞ。
ご協力願います。m(_ _)m

メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
12:17  |  くだらないけど・・・の話  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  編集  |  Top↑

2014.09.16 (Tue)

プラハで食べる 72 きのこ

きのこパーティーにお呼ばれした。
この季節はきのこのシーズンなのである。
今年の夏は雨が多く、きのこにとっては成長著しい夏だったようで、プラハから2時間も掛けてきのこ狩りに出掛けた友人も大漁だったようだ。


「そのきのこを使って鍋をしましょう。」
という声が遠回しに聞こえてきたので、図々しくも参加させて頂いたのだ。


その日のうちに綺麗に掃除し、下ごしらえをしなければ、きのこがダメになるので、参加者一同で小枝、葉っぱ、ナメクジなどを取り除き、カットしていく。

そのカットした物をまずは塩焼き。

美味~い!

照明の関係で色が赤みだが、カットしきったきのこ様を使って鍋開始。


味噌ベースだった。


2回戦突入。


美味すぎて、食べるのに必死で、会話もない。


ラス前はうどんを入れ、ラストはおじやで締めた。


お土産きのこも頂き、彼らは冷凍庫で眠っています。
いや~美味しく楽しい会でした。


メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
07:24  |  プラハで食べる  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2014.09.14 (Sun)

ピルスナーウルクェル

プラハから高速道路D5で西へ約90キロ走ると、プルゼニュ(ドイツ語名ピルゼン)という街に着く。
ここはかつての行政区分だと西ボヘミア地方に属し、西ボヘミアでは一番大きな街である。チェコでは4番目。
西ボヘミア最大と言っても人口は17万人程度ではあるが…


ピルスナーウルクェル工場。

このピルゼンを世界的に有名にしたのが、そう、ピヴォである。
その名も『Pilsner Urquell』、チェコ語名『Plzensky Prazdroj』。
元祖ピルスナーである。


オランダの灯台を模した給水塔。

ピルゼンは1295年、ボヘミア王ヴァーツラフ二世により設立された。
街設立当時からピヴォが造られ始め、19世紀初めまでは、現在の旧市街地区でピヴォ造りが行われており、実に300種ほどのピヴォが存在していたとの事だ。


瓶詰めラインとパイプを通る王冠。

300近くも種類があった理由は、街には約300軒の家が建ち、各家が、各家のレシピで勝手にピヴォを造っていたからである。
よって、味はバラバラ、質も低く、
市民は街のピヴォの質向上を図るべく、1839年、バイエルン地方のピヴォマイスターを呼び寄せ、バイエルンの醸造法と全く同じ方法で、ピヴォを造るよう依頼をした。


工場見学コースにあるチェコ最大のエレベーターは、なんと72人乗り。

醸造工程の初期段階に当たる、麦芽と水を混ぜ、煮込み、ろ過して麦汁を造る仕込みで出来上がった麦汁が、バイエルンの麦汁よりも淡色だったため、麦汁をより濃い色にしようと、同工程を3回繰り返した。
しかし出来上がった麦汁は淡色であったため、誰もが失敗作かと思ったそうである。


展示コーナーに敷き詰められついる大麦。

その淡色麦汁に、ホップを入れ、ろ過し、酵母を入れ発酵させ、貯蔵して出来上がったピヴォは、今までに無い色合いと味わいのピヴォだった。
時は1842年。ピルスナー・ウルクウェルの誕生である。


2006年まで現役で活躍していた煮釜。

麦汁の色が淡色になった理由は、バイエルン地方の水が硬水であるのに対し、ピルゼンの水が超軟水であったからという、ただ単に水質の違いだけで、その水質の違いがあったからこそ、その後、世界中で、ピルスナータイプの淡色ピヴォが造られるようになった。
「ピルゼンピヴォの様なピヴォ」という事が、ピルゼンタイプ、ピルスナータイプと呼ばれる所以である。


フィルタリングされた麦汁が出る蛇口。

ちなみにキリンラガーも、ピルスナー・ウルクウェルの影響を受け造られており、以前キリンラガーの工場があった群馬県高崎市は、ピルゼンと姉妹都市の関係を結んでいる。


19世紀に使われていた昔の釜。

ピルスナー・ウルクウェルはチェコでも最も人気のある。
人気があるだけに、値段も他のチェコピヴォに比べると少し高めだ。
高めと言っても、プラハの中心地で平均価格が500mlのジョッキで50~70コルナ(日本円で約400円)程度か。


工場地下に掘られて出来た総全長9kmもある地下道にある樽で寝ているピヴォ。

アルコール度数は約4.4%で日本のピヴォに比べるとやや低い。
チェコの気候、料理には非常に合うが、日本で飲むと少し苦く、重い感じがするかもしれない。
しかし、ピルスナーウルクェルを飲んでしまうと、もう他のピヴォは飲めない。


ノンフィルターピヴォの試飲。
コクがあり美味しい。

ピルスナーウルクェルはチェコに来るなら是非飲んで頂きたいピヴォだ。


樽には約40ヘクトリットル、つまり4000リットル近くのピヴォが入っている。

そんなピルスナーウルクェル工場を見学してきたのさ。

メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
18:53  |  プラハでピヴォ  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2014.09.13 (Sat)

彡は長い友達 散髪inプラハ

ついにオフィシャルで仕事を始めたようだ。
私は個人的に知り合いだったおかげで、密かに切ってもらっていたけれど、
オフィシャルになったから、予約も入って忙しくなっちゃうんだろうな~。

彡は長い友達だから、上手な人に切ってもらいたいし、
日本人の髪を知っている日本人美容師に切ってもらいたいじゃん。

そこで早速、オフィシャル発表後、サロンで切ってもらった。
サロンもお洒落だし、美容師まみさんも嬉しそうでした。
プラハ在住の皆さん、散髪で悩んでいる方、朗報ですよ!

以下、届いたメッセージのコピペです。

みなさま、来週9月15日よりオフィシャルに仕事を再開します!
Letenske Namestiからすぐ近くのサロンのスペースを借りることになりました。
まずはヘアカットのみからスタートして、準備が整い次第カラー、来年にはパーマも始める予定です。

Dobrovskeho 40 Praha 7 (2nd floor)
Kosmeticky salon Mary Mareanna

女性ヘアカット 1100ck(シャンプー込み)
男性ヘアカット 800CK (シャンプー込み)
子供(12歳以下)600ck

平日の9時~15時位までと、可能な日は夕方19時~、週末も毎週ではないですが営業します。

今月は週末27日(土)営業いたします。
夕方はお問い合わせください。

ご予約お待ちしております!!

って、どこに連絡したらいいんだ?
まみさ~ん。
メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
13:49  |  くだらないけど・・・の話  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2014.09.09 (Tue)

ゼレナーホラ 聖ヤン ネポムツキー教会

ゼレナーホラ(緑山)の聖ヤン ネポムツキー巡礼教会はユネスコの世界遺産だ。


実際に行ってみると首を傾げ「なんで?」とつい言ってしまうだろう。
でもそんな事言っちゃ…
ダメよ~ダメダメ!


1719年、まだヤン ネポムツキーが讃えられる前、すでにヤン ネポムツキーを慕い、聖別に動いたジュダャルのシトー修道会修道院長ヴェイムルヴィと当時の有名建築家、サンティーニ アイフルの2人が教会建設に多いに貢献した。


当時あまり無かったデザイン、そしてヤン ネポムツキーのシンボルをを多用したのだ。
教会を上から見ると形は五芒星。
バロックが旺盛だったこの時期には時代錯誤のようなゴシックのデザインを取り入れている。


ヤン ネポムツキーの伝説によると、彼はカレル橋から投げ落とされ処刑されたのだが、投げ落とされる時に5個の星が上がったそうだ。
故に5個の星が設置され、舌を切り落とされたという伝説もあるので、舌の形をしたモニュメントも設置されている。


説教台にも伝説が紹介されている。


カレル橋から投げ落とされている場面。


そして舌。


今回の訪問では気付かなかったが、祭壇にはローマ字5文字でTACUMとあるようだ。TACUMはラテン語だが「黙した」と言う意味になる。


王妃ジョフィーの告解の内容を、王ヴァーツラフ4世のしつこい尋問にもかかわらず明かさなかったために処刑されたという伝説。
沈黙を守り通したと言う伝説を意味していることは明らかである。


ヤン ネポムツキーは人気のあった聖人だ。
橋、川沿いの建物によくいるから探してみると良い。
ほとんどみな、寂しそうな顔をし、頭周りには5個の星がついているぞ。




メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
17:55  |  ボヘミア地方  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  編集  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT