2014.11.30 (Sun)

2014年の点灯式 クリスマスツリー

前回クリスマスツリーについて書いたのだけれど、
これを投稿しないと意味がないのかもしれない。
「日本のほうがすごいぞ!」
なんて言うのはタブー。

画質が良くないけれど、どうぞ。
プラハ旧市街広場のクリスマスツリー点灯式です。


マーケットは1月6日までやっていますよ!
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2014.11.28 (Fri)

Vánoční strom クリスマスツリー

2014年11月25日真夜中2時ごろに今年の奴が運ばれてきた。
オーディションには17本もの奴らが参加していたが、選ばれたのがこの奴だった。


今年の奴はベネショフ地区Nespeky(ネスペキ)のミロスラフ・フムさんが寄贈した。
寄贈理由が面白い。
「庭に立つハリモミの木があまりにも凛と成長しすぎ、
嵐で倒れて家が壊れたり、人が怪我したりするのが心配になったから寄贈を考えました。」
だって・・・。

高さは26mで年輪を見ると72年だったそうだ。
しかしプラハの安全上の決まりで、4mほどカットされているから、
旧市街広場で見る時は22mの高さになってしまっている。
その立派な今年の奴にプラハ1区が100000コルナ(約55万円)出し、
100000個ほどの電球を付けて綺麗にお化粧するのである。


11月25日夕方。
電球を付け始めていた。


11月26日夕方。
今年もLEDライトは健在だ。


11月27日夕方。
リボン型のライトが赤く光っている。


11月28日昼どき。
未だ化粧中だ。
間に合うんかい!


同日夕方1。
まだなのか?
勝手に心配している。


同日夕方2。
しか~し!
最終調整まで来てるじゃないか~!
微音量で流れていた曲を耳にしたが、今年もアントン・ドゥヴォジャーク作曲のスラブ舞曲に合わせて奴が踊るようだ。


今年の奴の点灯式は明日11月29日土曜日、17:00からたったの10分間だ。
みんながその10分間を楽しみにしている。
点灯式が終われば普通にイルミネるのだけれど、点灯式は超オススメだから時間の合う方はぜひ観に来ると良い。と、断定する。

でもね、点灯式前後は広場付近の道という道が東京の満員電車なみに混むから、その辺は覚悟の上でっつう事と貴重品にはくれぐれも気を付けておくれ~。

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2014.11.24 (Mon)

ミラノダービー

アマテラスのメンバーが最近ちょくちょくブンデスリーガを観戦しに行っている。
あっ、サッカーの話である。
アマテラスはチェコ在住日本人サッカーチームのこと。
ブンデスリーガはドイツのサッカーリーグのことだ。

ホント、ちょくちょく観戦に行っているんだ。
だからなのか…それに感化されてしまった私は今日、ついつい来てしまった。
ドイツのブンデスリーガではなく、イタリアのセリエAだけど…。
ミラノはサンシーロだ。


ミラノダービーを観戦しに来たのだ。
ミラノには赤チームと青チームの2チームがセリエAで戦っている。
2チームともに世界トップクラスのチームだからサッカーファンであれば知らぬ者はいない。


赤チームはACミラン


青チームはインテルミラノ


ねっ、サッカーに興味無い人だって、名前ぐらいは聞いたことはあるでしょ。
両チームとも有名で人気があるから、ダービーの日は超満員である。


しかも青チームの55番は長友選手。


赤チームの10番は本田選手。


2人の日本人選手が所属していて、今日の試合では同時にピッチに立ったんだ。
しかも2人ともチームの核を担っている。
これは凄いことだ。


この2人の対決を見るのが今回の観戦目的だったのだ。
長友選手はフル出場で本田選手は後半10分過ぎからの出場。
2人とも見せ場はあって会場は盛り上がった。


結果は1-1のドロー。
贅沢を言わせて頂くと、もう少し長く本田選手のプレーを見たかった。


だいぶ昔に中田英寿氏がパルマに所属していた時に観戦して思ったことがある。
それは「日本人選手が活躍すると嬉しいし、観戦しがいがある。」ということ。
今日、本田選手と長友選手の勇姿を見たが、その思いは変わらないな。

やっぱり今度は香川選手を見に行かなきゃだ…な…。









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2014.11.23 (Sun)

プラハを探す いる?いない? ゴーレム

私が彼の存在を初めて知ったのはいつだっただろう?
確かな日は覚えていないが、超人気テレビゲームからであったことは確かだ。
その時は彼が何なのか良く分かっていなかった。
分かっていたのは泥人形だと言う事だけである。

その彼の名はゴーレム。
ヘブライ語では「形のない物」と言う意味があり、
ユダヤ教タルムード経典では不完全な物、
未完成の物と言う意味で使われている。

ラビが泥で人形を作り、呪文を唱え、
人形の額にemeth(真理)と刻むと完成し、
emethのeを取りmeth(死)とすると泥に戻る。
本来はヘブライ文字だけど・・・。

golem.png

このゴーレムの出自はポーランドとされているが、
1700年代に入って、プラハの伝説と混同されてしまった。

時は16世紀末、プラハにはドイツ人、チェコ人、ユダヤ人がおり、
キリスト教とユダヤ教、キリスト教の中でもカトリックとプロテスタントと別れ、
それぞれに対立しあっていた。
その中でも特に、ユダヤ人に対する風評被害はひどく、デマが飛び交い、
そのデマを信じ切っているキリスト教徒からひどい仕打ちを受けていたのだ。

ラビ・レーブは、ユダヤ人たちに対する否定的な風評を広める者達を捕えるため、
ゴーレムを作ってユダヤ人が安心して生活できるよう図った。
ラビ・レーブは出来上がったゴーレムの額に真理と刻み、声をかける。
「目覚めよ、ゴーレムよ。」
目を覚ましたゴーレムに任務を告げ、最後にこう言った。
「デマを広める者たちを捕えて役人に差し出すだけだ。
ただこれだけは忘れるな。決して危害を加えてはならぬ。」

ゴーレムは指示通り働き、デマを広める者が次々と捕えられていったが、
逆に、その事を快く思わない者たちを増やす結果となってしまった。
ついには怒り募った群衆がユダヤ人地区に押し掛け、
ユダヤ人地区になだれ込むべく門を打ち破り始め、
ユダヤ人地区の門付近は騒然となった。

門外にいる群衆はユダヤ人をののしる言葉、あざける言葉を浴びせかけている。
門内ではゴーレムがユダヤ人地区を守っている。
押し寄せる群衆の数も増え、ののしる声、あざけりの言葉が大きくなっていくと、
不思議な事に、その声を聞くゴーレムの身体も徐々に大きくなっていく。

ついに門は打ち破かれた。
巨大化したゴーレムはなだれ込む群衆の侵入を防ぐため仁王立ちとなった。
そのゴーレムの姿を見た群衆は恐怖し、逃げまどう。
ゴーレムはその者たちを、追い返すべく手で払いのけたが、
その勢いで人々は押し流され、死者、けが人が出てしまった。
止むを得ないとは言っても危害を与えてしまったのだ。

翌日、ラビ・レーブは皇帝より事情聴取を受け、
ゴーレムを滅ぼすように言い渡された。
ラビ・レーブは答えた。
「仰せの通りに致しましょう。
しかし我々の生活の安全が保障されなくなったならば、
いつでも復活させます。そのおつもりで。」

ユダヤ人地区に戻ったラビ・レーブはゴーレムを呼び、emethのeを消し去った。
真理が死に変わり、その瞬間ゴーレムは泥に戻った。

その泥は旧新シナゴーグの屋根裏に運ばれたという。


誰かが泥を監視しに行くためなのか、
真理の文字を刻みに行くためなのか、
屋根裏部屋に続く梯子と屋根裏に入るためのドアがある。


今でも、
ゴーレムが、
この階段を、
上り下りしているのかもしれない。


信じるか信じないかはあなた次第です。

マウスで絵を描くのも大変だ・・・
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2014.11.17 (Mon)

統制→17.11.1989→自由

自由を勝ち取ったら事故が増えた?
2014年11月17日(月)13時30分ごろ、レヴォルチュニー通りにて。


そしてカロリヌムのそばを通ったら通行規制が取られていた。
同日14時30分ごろ。
規制理由は建物から大統領の彼が出てくるからだった。
たまたま出くわしたけれど、自由を勝ち取っても統制はされている。
でも、自由を勝ち取ったから大統領の彼にも抗議ができる。
大統領の彼は今日、国民からレッドカードを提示されたようだ。


ナーロドニー通りは朝から交通規制。
ここで集会が行われたからだ。


大集会が終わり、市民が自由にナーロドニー通りを歩く。


演奏用にとトラムを停車させていた。
車内ではマスクをかぶったシンガーがソングをシングしている。
マスクをかぶらなくても良いのに…。
でもマスクをかぶるのは彼の自由か…。


カツラや衣装を着せて写真撮影のサービスもあった。


黒板が設置され自由に落書きをさせていた。


ナーロドニー通りを進んで行くと人の数がどんどん増えて行く。


もう一両トラムが停車していたので車内から撮影してみた。


そしてここ。
そう、今日11月17日はチェコスロヴァキアが民主化を勝ち取るべく革命が始まった日。
ここは反体制の学生デモ隊と警官隊と衝突した場所だ。


ろうそく持参の市民が列をなし、ここにろうそくを置いて行く。
ちなみに今日の朝、出勤中の私はこの男性をトラムで見た。
トラムで見た時はデモ参加者かと思っていたのだが、ここに立つ人だったんだ。
見た時は驚いた。
ごくろうさま。


1989年11月17日金曜日から25年。
ビロード革命から25年。
25歳以下の若者は共産党時代を知らない。
東西冷戦も過去の遺物だが、ここではないどこかでは今も、
自由を求めて闘っている人々がいるんだ。


自由を勝ち取ったら終わりではない。
そこからまた始まる。
だから忘れてはいけないし、伝えていかねばならない。

11月17日・・・
チェコでは忘れてはいけない日、
そして、伝えていかねばならない日なのだ。
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2014.11.16 (Sun)

悪シャワー!ワルシャワ

15年以上ぶりに来た。
18年しかプラハにいないのに…
15年近くも来ていなかったんだ。
悪シャワー、否、ワルシャワ。


最初に来たのは1998年12月。
夜行列車でトロトロと、ほんとトロトロだったな~。
寝台を予約しゆっくり寝るはずが、気持ち良く寝ている深夜、
国境で起こされパスポートをチェック。
チェック中は電車は動いていない。
長い長いパスポートコントロールだったな。


明け方、今度は恐怖体験。
だって、なんか気配を感じると思ったらスリが作業中なんだも~ん。
はっと飛び起きた私と目が合い、走り逃げるスリ。
恐怖でスリを追い掛けるどころではなかったけれど、
ベルトに付けていた貴重品の入った小さいバックの側面がカッターで綺麗に切られており、
命のパスポートが切れ目から顔を出していた。
未遂だったけれど、ゾゾゾッである。


2回目はその次の年だったかな。
友人がプラハに来て遠出でワルシャワに行ったんだ。
隣のコンパートメントに乗っていたポーランド人の若者から酒をふるまわれたんだっけ。


そして今回が3回目。
飛行機でブ~ンとひとっ飛び。
しかし、前回の訪問からだいぶ空いたもんだな~。
目的はサッカーだった。
我らがアマテラスとワルシャワのチームとのサッカー親善試合があったのだ。
試合は6‐1で快勝だったけれど、自分は・・・
年には勝てないのかな・・・
とりあえずあと5kgぐらい落とさないとダメか・・・
走るは走ったけど、納得いかないんだよな。


試合の後に行われた焼肉屋「将軍」での懇親会では、
空気を読んで、
止むを得ず、
言い訳がましいけれど、
乾杯で、
約2カ月ぶりにお酒を飲んでしまいました。m(__)m
プラハに戻ったら断酒2ndステージです。


いずれにせよ、
ワルシャワさんアレンジ本当にありがとうございました。


試合の翌日、つまり今日は街を散策した。
超久しぶりに来て、中心街を見た感想は、
「綺麗になったな。」
の一言。


過去2回は街を歩いただけで、観光スポットにも行かなかったから、
今回はショパンの心臓があるという聖十字架教会やショパン博物館に行った。


ピアノとは縁の程遠い20代から40代のサッカーバカ男8人が、
「ショパン、ショパン。」
「39歳の若さでで死んだ。」
「お父さんフランス人でお母さんポーランド人。」
「パリで死んだけど、心臓だけは故郷ワルシャワに・・・」
「心臓盗まれたみたい。」
と囁きながら歩いている。
そして真剣に見学し、ショパングッツを買う。
その光景は滑稽だった。


ショパン博物館だが、日曜日だからなのかどうか知らないけれど、
ラッキーな事に、なんと無料で入れたのだ。
チェコだったら無料開放なんてありえない。


しかも1時間に100人程度しか入場できないようで、
運が悪いと入場できない恐れもあるのだ。


展示内容も超充実していた。
ポーランド人がショパンを誇りに思ってい、
「世界中の人にショパンを知ってもらいたい!」
という気持ちがひしひしと伝わってくる。


プラハのスメタナ博物館やドヴォルザーク博物館も見習ってほしいぐらいである。
それに、モーツァルトが滞在しオペラ・ドンジョヴァンニを完成させた建物のベルトランカだって、
以前はモーツァルト記念館だったのに区と財団で揉めていて、ず~っと閉館しているしね。
国民性の違いなのかな。


博物館でお腹一杯のメンバーは最後に料理で本当にお腹一杯になった。


ジュレクスープとピエロギだ。
定番中の定番である。


とても満喫した1泊2日のワルシャワの旅。


次はいつ?
来る事はあるのだろうか・・・?
わ・る・しゃ・わ
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22:35  |  外国旅行  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2014.11.14 (Fri)

プラハで買おう 聖夜果物茶

さてさて、11月も半ばに入って来た。
そろそろ?
ぼちぼち?
ゆるゆる?
と、準備を始めなければならないか!
な?
クリスマスプレゼントの準備を!
だ。

小物をぱらぱらと買い集めねばならない!
と言う方、チェコ発の物でチョコチョコ買い集めようではありませんか。

そこで紹介するのはこれ!
↓↓

ボタニクスのクリスマスフルーツティーである。

箱を開けると・・・
当然ティーが入っている。


匂うとなんか甘酸っぱい匂いがする。


箱を開けただけで、まだ飲んでいないので味は分からないけれど、
もしかしてだけど、もしかしてだけど、クリスマスの味がするのかもしれないぞ。

クリスマスティー。
なんのひねりもなく、まんまだけれども、プレゼントにおひとついかがですか?

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2014.11.07 (Fri)

チェコスロバキアダービー

チェコスロバキアっていう国があった。
1918年10月28日が建国。
第二次世界大戦時はチェコはドイツに占領され、
スロバキアはドイツ傀儡政権のもと独立した。
戦後、再びチェコスロバキアが復活したが、
1993年1月1日からチェコスロバキア分離独立した。

チェコの首都はプラハだけど、スロバキアの首都は?
パッと答えられるであろうか?

ブラ、
ブラチ、
ブラチス、
ブラチスラ…
ブラチスラバ!だ。

チェコスロバキア時代、プラハとブラチスラバはなんか対抗心があったようだ。
プラハが対抗心を燃やしていたのではないだろう。
ブラチスラバが、だと思う。
たぶん。
でも、プラハもかな・・・?

特にスポーツでプラハのチームとブラチスラバのチームが戦う時、
いわゆるチェコスロバキアダービーの時はかなり白熱したようだ。
サッカーやアイスホッケーは特にである。


そのチェコスロバキアダービーが昨日11月6日にあった。
競技はサッカーで、UEFAヨーロッパリーグの予選リーグだったのだ。
同リーグには、ブラチスラバのスロバン・ブラチスラバと我らがスパルタ・プラハ。
他にナポリとヤングボーイズがいる。


そのチェコスロバキアダービーを見に行くチャンスを得たのだ。
チェコ在住日本人サッカーチーム、SKアマテラスの名ゴールキーパーに誘われたのである。


席は1番前。
救急隊員の真後ろだ。


選手が倒された。
「行くのかい、行かないのかい、どっちなんだい!」


行くぞ!!


待ってろよ!!


大丈夫か!!


試合が終了すると、サポーターがグランドに乱入しないように係員が監視。
入ってくんじゃね~ぞ!


結果は4‐0。


スパルタの圧勝でした。
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