2015.01.30 (Fri)

bauhaus

バウハウスに行って来た。
去年の話である。
バウハウスと言ってもホームセンターではない。
1919年にドイツのワイマールに設立された美術・建築学校のバウハウスだ。
近代建築4巨匠に上げられるグロピウスが設立し初代校長になった。
ちなみに他の3人はライト、コルビュジェ、ローエである。
しかし、ワイマール校ではなくデッサウという町にある学校の方に行ったのだ。
バウハウスワイマール校は1925年にデッサウに移転し、
その校舎はモダニズム建築の代表作として世界中に紹介されている。


グロビウスはソ連(当時)からカンディンスキー、ハンガリーからラースロらを招聘した。
彼らは.時代の流れもあったであろうが、構成主義、合理主義、機能主義を提唱していたため、
バウハウスの教育方針も自然、それらの主義に傾いて行った。
学校のそばの通りはバウハウス通りだった。


合理主義、機能主義。
余計な物はいらない。
兎に角、機能性を追求している。
2代目の校長になったマイヤーは公然と共産主義者を語っていた。
1930年にマイヤーは解任され、ミース・ファン・デル・ローエが校長に就任する。
近代建築4巨匠のひとりのローエである。
チェコのブルノにモダニズム建築の住宅を設計した男だ。
トゥーゲンハット邸である。
ローエは政治色は継続しなかったが、
教育理念は引き続きマイヤー時代の理念を踏襲した。
このデッサウ校も1932年にベルリンに移転している。
しかし、バウハウスは1933年にナチスによって閉校させられてしまった。


デッサウ校の教授陣たちの家が建つ区域。


ロシア人のカンディンスキー、ハンガリー人のラースロ、マイヤーは共産主義者、
ローエはブルノにトゥーゲンハット邸を設計…。
なんだか、こっち側だなと思った。
のちに始まった東西冷戦時の東側だなと。
だからなのだろうか。
初めて見たはずなのに全く新鮮味がない。
プラハで見たことあるな。
チェコにも普通にあるな。
…と感じた。


特にインテリアだ。
私が今まで思っていた、「なんか昔だな。」と思っていたインテリア、
「これが共産チックなのだろうな。」と考えていたあのデザイン、
それら現存するインテリアはチェコスロヴァキア共産主義時代に造られたものではなく、
機能主義が主流だったバウハウス時代に造られた物がいまだに残り、使われているのか。
棚、机、椅子・・・
どうなのだろうか。


建物全体はシンプルでスッキリし、空間が多すぎる感はある。
好みは分かれるかもしれない。
でもシンプル・イズ・ザ・ベストだと思っている私には好きなデザインなのである。


エルベ川に出た。


川沿いには当時の機能主義デザインのレストランが残っている。


写真では分からないかもしれないが、
レストランから見えるエルベ川は大きく迂曲していて、初めて見ると息をのむ光景だ。
シンプルな建物の中からシンプルではない物を見るギャップが良い。


ここでサンデーを食べたが、サンデーも機能的デザインではなかった。


機能的。
建物の外観デザインはスッキリしすぎているけれど、
インテリアのデザインはやっぱり好きだなぁ。
広く、明るい空間。
なんか清潔感のある空間だ。


本来もっと難しくバウハウスの事を書こうと思っていたのだが、
デザイン、インテリア、建築を専門に勉強していなもんで書けんかった。
バウハウスについてもっと知りたい方は、
http://bauhaushistory.jimdo.com/さんのページへジャンプ!
と、勝手に紹介してしまいました。
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14:49  |  ドイツ  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.01.22 (Thu)

チェコで滑る シュピンドゥレルーフムリーン

スキーヤーですか?
ボーダーですか?

私はボーダーです。
とは言っても、ただ普通に滑るだけで飛んだり回ったりは出来ません。
30歳から始めました。
実を言えば、26歳の時に一度だけ経験したことはあります。
でもハマったのは30歳になってからでした。

あれは確か2001年、朝起きてふと地下鉄B線終点のチェルニーモストまで行き、
バスに乗ってシュピンドゥレルーフムリーンまで行ったのが始まりでした。
なぜだか無性にスノボーをしたくなったのです。
道具は持っていなかったのでレンタルしました。
しかし、道具を買ってしまえば通うだろうと一式揃えたのです。
するとハマりました。
時間ができたらボードを担いでバスでシュピンドゥレルーフムリーンまで通ったのです。
片道3時間ぐらい掛かりました。

初めは当然下手すぎました。
滑っては転び、滑っては転びと、転びまくっていました。
見ず知らずのチェコ子供がバカにしながら、悠々と滑り去っていた事もあります。
その時は悲しくなりました。

転んでボードが外れ、ボードのエッジに正座状態で落ち、
両足のすねをえぐったこともあります。
その時も悲しかったです。

泊まりで出掛けた時は、アウディバーで知り合ったチェコ男と意気投合し、
しこたまフルシュコヴィツェ(洋ナシ蒸留酒alc.40%)を飲まされ、
その後で人生初となるタルタルステーキをごちそうになり、
宿に帰って寝ていたら、口からもんじゃが出てきたこともありました。
その時は苦しかったです。

それでもボードにハマっていましたから通っていたのです。
バスで3時間もかけてです。

2003年トヨタヤリスを買いました。
ボードを担いでバスで行く必要がなくなったのです。
その時の嬉しさと言ったら言葉では言い表せることができません。
そこから4年は通ったはずです。
その後ぴたっとブームが去ってしまいました。

先週の土曜日、久しぶりにそれらボード一式を取り出しました。
我らがアマテラスの日帰りスキー合宿があったのです。
アマテラスはチェコ在留邦人のサッカーチームのことです。
チームメイトとその家族一同でスキーに行ったのです。
場所は思い出の地、シュピンドゥレルーフムリーンでした。


全体的には昔のままでしたが、なんだか綺麗になっていました。
1日リフト券も800コルナでしたが大した値上がりではありませんでした。


またハマってしまいそうです。
新しくブーツを買おうかなと考えています。
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23:33  |  ボヘミア地方  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.01.22 (Thu)

4泊5日オーストリアと少しドイツの旅 5

ビジシマを連れてバイエルンの至宝に来た。
19世紀の代物だから歴史的には深くないとは言え、
日本人がイメージするヨーロッパのお城と言ったらこのお城なのだろう。
私は2013年の6月以来の顔合わせである。
ノイシュヴァンシュタイン、新白鳥城だ。
初めて見ると想像より小さいのでがっかりするけれど、
でも、何度見てもうっとりするのは私だけだろうか。

このアングルもキレイ。


このアングルは訪問したら鉄板アングル。


このアングルも鉄板。


でも、このアングルは?
ボスターでよく見かけるアングルだ。
やっぱりこのアングルがベストなのではないかと考えている。


今回はそのアングルでお城を見ることができた。
そんな場所があったのである。
フッセンからではなく、ミュンヘンからノイシュヴァンシュタインに向い、
あともう少しでシュヴァンガウの駐車場に到着するという最後の直線で、
ロープウェイサインを見つけてしまったのだ。
今まではお城に行くことが目的で、最後の直線は猪武者よろしく、
脇目も振らず駐車場に向かっていたのでロープウェイサインを見落としていたようだ。
しかし今回は行程中で何度ものりものに乗っていてのりものサインに敏感になっており、
冬季であったのが幸いして観光バスやその他一般車などの交通量も少なく、
のろりのろりと最後の直線を走っていたのでサインを見つける事ができたのだ。


ロープウェイの位置とお城の場所を目測すると、あのアングルで城が見えることが予想できる。
しかし100%あのアングルでお城が見れるのかどうか、
さらにはそのロープウェイが動いているのかどうか定かではない。
よって、まずはお城の外観を見学すべくお城に向かった。
駐車場から直接マリエンブルッケまで行く舗装されていない山道を登り、
そこから撮影した写真が2番目の物。
そしてお城に向かい撮影したのが3番目の写真。
その時に何気にロープウェイのある方へ眼をやると、
ロープウェイが動いているのが見えた。
「あっ!」っとうなったのは言うまでもなく、早速、お城の外観見学を終え、
下山し、下山中にドーナッツを食べ、駐車場そばの免税店を物色した後、
車に乗り込み、ロープウェイ乗り場へ移動した。


乗り場に移動するとそこはスキー場だった。
しかしロープウェイの運行数は少なく、20分ほど待って乗車する。
乗り場からゆっくりと上昇していく、待ち侘びたアングルでのお城が見えてきた。
しかしお伝えしておく。
ロープウェイの窓は開かないから窓越しで見るに限る。
頂上に登るとお城は見えずパノラマしか見えない。


もし本格的な登山の経験があれば、頑張って、重い荷物を担ぎながら、
ポスターのアングルに近い場所に行けるようだけれど、我々は軽装のお上りさんだ。
ロープウェイでチャッチャと登って、パチッと撮って、サクッと降りてくる訳で、
そんな我々に綺麗なアングルが見える区間は限られてくるのだ。
地上から中間部までの約半分の区間で登りと下りの2回のみである。


それでも良い。
あのアングルでお城が見えれば良い。


ラッキーな事にロープウェイの乗客も少なく、
登りも下りもお城側に陣取ることができ、
窓に手を当て子供のように見入ってしまっていた。


そして写真も撮りまくっていた。


ほんの数分だけではあったが、とてもラッキーだったし満足のいく時間だった。
次に来る機会があっても天気や、ロープウェイの混み具合では見れないからね。


これを持って全行程が終了しプラハに帰るわけだけれども、今回の旅では計画当初、
わざわざ4泊もする意味あるのかな?と考えていた。
なぜならプラハからだと実に中途半端に遠い場所で、
冬のため天気次第では最悪な旅になるという事情があったからだ。
しかしながら、好天に恵まれ、美しい自然と雄大な景色も見れ、
年末年始の人多く殺伐としたプラハに辟易していた私には、
心落ち着けることができ、実に満喫できた旅となった。
この計画を提案して頂いた旅行社の旅行者さんに感謝すると共に、
今後もプラハを絡めた良いツアーを企画して頂く事を切に願います。


珍道中ではなく手堅い旅ではあったけれど、それが一番楽しいのかもしれませんね。
さてさて、次はどこに行こうかの・・・?

おわり
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12:49  |  オーストリア  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.01.21 (Wed)

4泊5日オーストリアと少しドイツの旅 4

インスブルックで宿泊したホテルはイン川沿いにあるトレンドコングレスで、
ホテル到着時にホテル前になにかののりもの駅があることに気付いた。
駅から続くレールを目で追うと、レールはかなり急勾配の山肌や稜線上を走っており、
ジェットコースターのレールにも見え、一気に好奇の心のボルテージがあがった。
もちろんジェットコースターではなく公共機関ののりものだが、
「これは乗るしかない!」と、翌朝、体験乗車をするため始発駅のコングレス駅に向かった。
ホテル前の駅があるのにわざわざ始発駅まで向かった理由は、
ただ単に路線をを踏破したかったからだ。


駅へ向かう途中に走り去る車両を見た時は1両のトラムのように見えたが、
ホームに立ってよく見ると5基のゴンドラが1両にまとまっているようでもある。
ゴンドラトラムとでも言うのかな。


トンネルの中を走っていると、頭がすでに遊園地気分になっているのか、
公共機関ののりものに乗っている気分はしない。


トンネルを抜け、急勾配の山を登る。
まさにジェットコースターが坂を登る如くの気分である。
かなりの急勾配なので登山中に傾斜で座席から落ちるのではないかと不安になったが、
驚くことに全く傾斜を体感させず、ゴンドラトラムは静かに勾配を登っていく。
よく見ると、登山中のゴンドラトラムの各ゴンドラは、
座席が常に水平を保ち乗客が倒れぬよう勾配に合わせて傾いていたのだ。
驚きと関心に浸っていると頭上雲厚い終点駅に到着した。


終点駅で下車し、次にロープウェイに乗り換えた。
さらに上へ行くことができるわけだ。
この路線はゴンドラトラム、ロープウェイ、ロープウェイと2回乗り継ぐと、
標高2334mある山頂そばのハーフェレカーまで登ることができるのである。

コングレス駅で切符を購入する時、上空の厚い雲に遮られ展望は期待できないだろうと思い、
ゴンドラトラムの体験乗車だけで満足だと考えていた。
しかし、切符販売員は、「曇り空だけどロープウェイには乗るべきだ。」とでも言わんばかりに、
「どこまで登るのかな?」と逆に問いかけてきたものだ。

こんなに雲が厚そうなのにさらに上に行ったら・・・騙されているのか?
それとも雲はそれほどに厚くなく雲上は好天で展望が素晴らしいのか?

悩んだ末、登ると良い景色を見ることができるのだろうと後者の雲上晴天案をとり、
ロープウェイ2回乗り換えてトップまで登る切符を買ったのであった。

雲上の様子は今や神のみぞ知る。
期待半分、あきらめ半分で乗車しているとロープウェイは雲に突入し、
しばらく昇ると雲を抜けた。
なんと雲上晴天である。
切符販売員さんに大感謝だ。


眼下には雲海。
雲海の下はインスブルックなのである。


そこからさらにロープウェイを乗り換える。


標高2334mの山頂が見える。
しかし、風が強すぎ、降り積もっている粉雪も風で吹きあげられ、
登山の格好をしていない我々には登るすべがいため下から拝むしかない。


景色は綺麗に見えるけれど、吹き付ける風と風で舞い散る粉雪が顔面に当たり、
我が顔面はそれらの攻撃に耐えられず、やっとの思いで写真撮影をし山小屋に逃げ帰る。


また風がなくなったのを見計らって山小屋から出て、別アングルの景色を見に行く。


そんなこんなを繰り返した後、山頂付近から1段下へ戻った。
するとそこは風も微風で平和な世界。
山頂付近の強風は何だったのだろう。


そして昼に近付くにつれて雲が切れ、
うっすらとインスブルックの街も見えてきた。
遠くにはブレンナー峠も見える。


しかしついにタイムアップ。
午後の日程があるため、美しい景色に後ろ髪を引かれながらも下界へ降りた。
本当に楽しい雲の上の滞在であった。


インスブルックを出発した我々は高速道路ルートではなく、
山を越え、ガルミッシュパルテンキルヘン経由でバイエルンの都ミュンヘンに行った。
ここで、旅行社の旅行者ともお別れだ。
その代りプラハから来ていたビジシマと合流。
なぜだかマーケットでオイスターを食べ、


旅行社の旅行者やビジシマらとホーフブロイハウスで1ℓビールを楽しんだ。


明日は旅行社の旅行者はヘルシンキへ飛び、
ビジシマを従えた私はバイエルンの至宝に行ってからプラハに帰るのでした。

つづく

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13:28  |  オーストリア  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.01.20 (Tue)

4泊5日オーストリアと少しドイツの旅 3-B

ザルツブルクからインスブルックへの移動中にここへ立ち寄った。
ここも今回の旅の目的の一つであったのだが、
2015年4月まで改装中で見学ができなかった。
残念でならない。
てか、ネット時代なのだから予め調べておけ!って感じですね。


ここはどこか。
そう、スワロフスキーだ。
オーストリアを代表するグローバル規模の有名ブランドである。


残念ではあったが、博物館を見学できなかったことが幸いし、
インスブルックに早く到着できた。
凱旋門。


黄金の小屋根。


街の塔からスキージャンプ台が見えた。
この街では1964年、1976年と2回も冬季オリンピックが開催されている。


名産チロルハムを摘みながらダラダラしていると夜になってしまった。


夜景を見て解散。


明日はまた面白い乗り物へ乗ります。

つづく
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23:26  |  オーストリア  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.01.20 (Tue)

4泊5日オーストリアと少しドイツの旅 3-A

ザルツカンマーグート観光に時間が掛かり過ぎ、
ザルツブルクに到着したら間も無く暗くなってきた。
冬は日没も早いため明るいうちに行動できる時間が短いのが残念だが、
冬至時期と比べればだいぶ日も長くなってきたからまあ良しとするしかない。

ザルツブルクと言う街名の意味は超が付くほど有名だから、
ここであえて紹介するほどの事ではないけれど一応紹介しておこう。
「塩の城」という意味である。
昔から岩塩で栄えた街なのである。
そしてモーツァルトが産まれた街であることも超が付くほど有名な話だ。
さらにレッドブルの街であることも超は付かないけれど有名だ。


街を歩くとここにもヤンネポがいる。


ザルツァッハ川に架かるシュターツ橋を旧市街から対岸に渡っていると、
対岸の建物の最上階にレストランらしき明かりを見つけた。
その建物に向かってみるとそれはホテルで、
入口には19ユーロビュッフェの看板があった。
フロントに確認するとやはり最上階はレストランで、
様子見だけでもOKだと言うのでエレベーターで最上階まで進んだ。
旅行社の旅行者がビュッフェの内容をチェックしている間に私は夜景の撮影。
想像通り綺麗な景色が見えたが、結局ここのレストランでは食事を取らなかった。


翌朝、ホーエンザルツブルクにケーブルカーで登りパノラマを望んだ。
山サイド。


街サイド。


ホーエンザルツブルク城は1077年に建築が始まり、何度も増改装が繰り返されたが、
最も大規模に改築した大司教の紋章には野菜のカブが入っていたため、
現在でも砦を探すとカブ入りの紋章が見つかる。


最後にお塩を買った。
試食をしたがガーリック入り塩がやばいぐらい美味しい。


さあインスブルックに移動だ。

つづく

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19:18  |  オーストリア  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.01.20 (Tue)

4泊5日オーストリアと少しドイツの旅 2-B

ハルシュタットからザルツブルグに戻る途中にザンクト・ウォルフガングに立ち寄った。
ここではサウンド・オブ・ミュージックでもおなじみの蒸気機関車の登山鉄道が走り、
標高1783mのシャーフベルク山に登ることができる。
しかし今は冬だ。
もちろん冬は運行していない。
しかし湖畔からの眺めは綺麗だった。
ヴォルフガング湖に写るうろこ雲と山並みが美しさを際立たせている。


そして鉄板で御約束事なのかもしれないが、
オペレッタ「白馬亭にて」の舞台となったホテル白馬亭でお茶休憩。


お茶をしてたらさっきのうろこ雲がなくなっていた。


次に同じ湖にあるザンクトギルゲンに移動。
モーツァルトの母が生まれた町だ。


ここにもヤンネポ。


そして小さいモーツァルト像が立っている。


町から標高1522mのヴェルファーホルン山頂へ登るロープウェイがあり、
冬でも16時まで運行していたので乗車した。
この旅はなんだか乗り物づくしだ。
山頂付近へ登るとこんな絶景が見えた。


東京まで9325kmだと、よくある標識が示している。
通信機能が発展している昨今、日本とヨーロッパの距離感は短縮されたが、
実際の距離間は約10000kmもあるのだ。
やっぱり遠いと改めて感じた。


ロープウェイを降りると階段と雪道がつづき、
その道を登ることたった10分で山頂に到着する。
山頂からの景色がまた絶景かな。


ロープウェイ乗降口には面白いポスターがあった。
動物の足でなんの足跡か分かる。
まだ熊でもいるのだろうか?


絶景を楽しみ、寒くなってきたので下山。
先ほどいたザンクトヴォルフガングが遠目に見える。


そしてザンクトギルゲン到着手前。


とにかく最高の天気に恵まれた。
ザルツブルグに戻ろう。

つづく
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00:47  |  オーストリア  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.01.20 (Tue)

4泊5日オーストリアと少しドイツの旅 2-A

1月13日
昨日の夕焼けが今日の天気を予想していた。
快晴である。
よって午前中に湖水地方のザルツカンマーグートを巡る事にした。

朝8時にザルツブルクを出発し南東へ走ること約80km、ハルシュタットに到着。


あっという間に歩き切ってしまうほどに町はものすごく小さい。
小さいけど、小さいからかな・・・かわいい町だ。
歩いているとここでもヤンネポを発見。
五つ星は彼のシンボルだから分かりやすい。


さらに町を歩いていると湖畔に船着場を発見。
ハルシュタット湖の対岸には鉄道駅があり、
列車の発着時間に合わせて渡し船が駅と町を結んでいるのだ。
撮影目的で往復する事も可能だったので乗船した。
駅側から町を見る。


駅側では散策する時間はなかっし、散策するほどでもない。
だから写真を取るだけですぐに折り返しの船で再び町に戻った。
渡し船から町を見ると町は山の真下に作られていることが分かる。
その山には塩抗があり、ロープウェイに乗って山を登ればその塩抗の見学ができる。
一度見学したことがあるが、楽しいアトラクションだった。
最初にすべり台を降りるのだけれどこれがスリル満点。
しかし今回は冬季のため閉まっていたため見学は出来ず。


それにしても好天だ。
冬はいろいろ制限はあるけれど、やっぱり好天のザルツカンマーグートは最高である。


つづく

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00:31  |  オーストリア  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑
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