2015.07.30 (Thu)

プラハを探す 汚いお手洗い

私は字を書くのが下手である。
小学生の時に書道を習っていたけれど、
落ち着きがなかったからか、お手本の真似をできず、
上手になる手応えすら見出せなかった。
そしてそのままの状態で齢を重ねすぎてしまっている。
しかも今は完全にキーボード打ち込み時代で字すら書かなくなっているから、
たまにペンを持つと右手の違和感が甚だしい。
だから直筆で書類提出なんてなった日にゃたまったものではないし、
私の字が人さまの前に曝け出されるなんて考えただけでもぞっとする。

さて、1999年某月、私はプラハの某高級土産店で勤務していた。
そう、あっという間に観光ガイドに戻ったけれど、1年半近く店員さん時代があったのだ。
1997年3月にプラハに来た私は、まず観光ガイドをしていたのだけれど、
一向にチェコ語が上達しないからと、チェコ人しか働いておらず、かつ、
日本人を必要としそうな某高級土産店にお世話してもらうことにしたのだ。

その店員として働き始めた時、マネージャーから頼まれた。
「モト、この紙にトイレって日本語で書いてくれ。」

自分の名前や好きな事物を日本語で書いてくれとお願いしてくるチェコ人は多い。
私は頼まれると漢字、ひらがな、カタカナと3パーターンで書いてあげる。
しかも私の汚い字で・・・。
今まで書いて傑作だと思ったのは女性名のペトラ。
「屁虎」と書いてあげました。
しかも屁の右上にぱ行の丸もしっかりとつけて。
そんなだから、たまたまトイレの日本語を知りたかったのだろうと考えた。
「しかし、何故トイレなんだ?でもトイレよりはお手洗いのほうがベターかな?」
と頭の中クエスチョンマークではあったが、
手渡された紙に結局「お手洗い」と書いた。

紙を受け取ったマネージャーは満足げに、しかも、
格好付けた口調で「ディキー」と礼を言って去っていった。

そんなやり取りをすっかり忘れていた後日、店内を歩いていると驚いた。
新たな看板が設置されており、そこには見覚えのある「お手洗い」が…。


このためだったのですね・・・。
当時だってすでにキーボード打ち込み時代だったのだから言ってくれれば…。

私は字を書くのが下手である。
今なお残る汚いお手洗い。
厠と書かなくて良かった。

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2015.07.28 (Tue)

プラハを探す カプロヴァ通り9番地

プラハ旧市街広場からヤン・パラフ広場を結ぶカプロヴァ通り。
郵便局あり、KFCあり、スタロムニェストゥスカー駅ありと、
観光客だけでなく多くの市民も利用する全長約240mの通りだ。

現在の通りは20世紀初頭に行われたプラハ市の近代化及び衛生措置の際に出来上がった通りだが、
すでに13世紀の半ばにはヴルタヴァ川と旧市街広場を結ぶ通りとして存在しており、
通り名は現在とは異なり聖ヴァレンティン通りだった。
バレンタイン通りである。

16世紀後半に、時のプラハ市長、カプルシュテインのパヴェル・カプルが、
通りに建つ49番地の家を購入してから、カプロヴァと改名されている。

カプルとは鯉の意味がある。
市長の名は鯉石のパヴェル・鯉さんと言う事になるなぁ。

それはさておき、現カプロヴァ通り9番地の建物には以下2つのレリーフがある。
女性の周りに鯉が集まるバージョン。


男性の周りに鯉が集まるバージョン。


同じようなデザインだが全く異なっている。
まず女性バージョンを見てみよう。
集まる鯉は女性の匂いを香しいと感じ女性の方を向いている。


しかし、男性バージョンは真逆。
男性の臭いがきつかったのかそっぽを向いているではないか。


鯉は恋に落つるべく女に乞いに来い、
鯉は故意に請いて濃い男から逃げんとす。

カプロヴァ9番地。

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11:15  |  プラハを探す  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.07.27 (Mon)

リトミシュル城のスグラフィト

プラハから約160km東にある人口1万人ほどの小さい町。
1999年に町に建つお城がUNESCOの世界遺産に登録された町。


1824年3月2日に城前に建つ家でべドジフ・スメタナが生まれた町。


リトミシュル。


16世紀の後半、当地を所有していたペルンシュテイン家が城をルネサンススタイルに改築した。
その後、トラウトマンスドルフ家がバロックスタイルに改築する。
さらに、ヴァルトシュテイン家、トゥーン・タクシス家と所有権が変わった。


ルネサンス期に城が改築された時、スグラフィトで装飾された外壁の建物になった。
スグラフィトとは分かりやすく言えば、異なる色の漆喰を重ね塗りし、
上塗りされた漆喰を掻き落として下塗りの漆喰を表面化し、
絵や模様を作り出す技法である。


しかしその綺麗なスグラフィト模様はバロック期に消えてしまった。
なぜならスグラフィト模様の上にさらに別の単色の漆喰が塗られてしまったからだ。
バロック期の人々の趣向が変わってしまったのだろう。


しかし後年に、壁にはスグラフィト模様があることが発覚し、
バロック期に塗られた漆喰をはがし、スグラフィト模様を前面に出す修復作業が行われた。


だから現在、壁にあるスグラフィト模様はルネサンス期オリジナルの代物ではないけれど、
それでも、ルネサンス期の様相を思い出すことは可能なのである。


そして、リトミシュル城のスグラフィトは模様だけでなく同時に絵も作られており、
4面の壁に8000種近くのスグラフィト模様があるのだ。


それには動物あり、道化師あり、人間模様あり、


好みのデザインはあるか?、あの絵は何を意味しているのだろうか?


など見ていて飽きることが無い。


この外壁を見るだけ度も十分に楽しい。


もちろん城内見学も楽しいし、バロック期に造られた劇場は見ものである。
また今年はもう終わってしまったが6月半ばから7月初めまでは、
「スメタナのリトミシュル」というタイトルで音楽祭も開催されるので、
音楽好きにもお勧めできる町だ。

一度足を延してみては・・・。



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2015.07.22 (Wed)

久々の列車の旅2

7月17日から5日間、ハイキングツアーを担当した。
添乗員1名、超有名女性登山家先生1名、先生を慕う方々10名、
そしてにわかハイキングファンの私と総勢13名である。
かの超有名女性登山家先生とは女性で初めてマッターホルン、アイガー、
グランドジョラス北壁の登頂に成功した超強者の登山家なのである。
そんなすごい方とハイキングができると言う話をもらった時は、
喜びと共に「キンチョウの夏が来た!」とも思いましたよ。
しかし、「山好きに悪い人はいない」。
好天にも恵まれ、思い存分にハイキングを楽しむ事ができた。
参加者は高齢の女性が多かったが、中には85歳の紳士もおり、登山道を登り下り、
12km近い距離を歩くと言うハードなスケジュールも、キツイキツイと言いながら完歩したことには、
もうあっぱれ!としか言いようがなかった。
その楽しいツアーもバイエルンの森にある小さな町グラフェナウで私の担当は終了し、
グループはそこからベルヒテスガデンへ、私はプラハまで列車で帰る事と相成った。

朝7:30にグループを見送り、10:00発の列車に合わせて駅に向かった。
グラフェナウ駅。
ヴァルド バーンが運行している。


グラフェナウ駅は終着駅で始発駅。
ここから約50分の旅。
列車に揺られ森の景色を見ながら車窓の旅を楽しむ予定だったが睡魔に勝てずウトウト。


すると乗換駅に到着した。


乗り継ぎ時間は10分。
さすがドイツと褒め称えても良いのか、時間ぴったりに列車が入線してきた。
ここでやっと写真に車両が登場したが、
車両はプラハで走っているトラムの車両と大して変わらない。
でもなんだか綺麗ではある。
その列車で国境に向けレッツラゴーだ。


走ること13分。
国境駅に到着。
バイエルンのアイゼンシュテイン駅だ。


駅からはバイエルンの森の最高峰アルベル山が見えた。
頂上までリフトで行けるようなので、次回機会があったらあの山を降りてみたいと思った。
決して登るではない…ところがミソである。


またバイエルンのアイゼンシュタイン駅はチェコのアルジュベティン駅でもある。
だからプラットホームに国境線が敷かれている。
左がドイツで右がチェコだ。


この駅にはもうひとつジェレズナールダという名前もある。


ここからプラハまではチェコ国鉄の運営だ。
ちなみにヴァルドバーンで当駅に着いたもののうまい乗り継ぎがなく、
1時間半近く駅で待つこととなり、近くのレストランでピヴォり、
12:45にプラハ行きの列車が出発した。


久しぶりにチェコ国鉄の車両に乗り、早速思い出した事があった。
それは冷房が完備されていない事である。
この日気温は34度。
プラハはもっと熱かったみたいだけれど、冷房は無く、窓全開で疾走。
生温かい風がなんとか冷却されて車内に流れ込んでくる。
決して快適ではないが、冷房が強すぎるよりはましかもしれない。


山地を過ぎると丘陵地帯となり、辺りの景色はほぼ麦畑であった。


途中、乗車した時すでに車掌からの案内はあったが、
線路工事のためバスに乗り換える事に。


そしてピルゼン郊外の駅で待機していた列車に再度乗り込み、
改めてプラハに向けて出発。


ピルゼン駅を過ぎ、


カルルシュテイン城を見逃さず、


やっとプラハに戻って来た。


しかし今回のハイキングツアーは楽しかった。
歩いた場所はすでに当ブログでも紹介した所ばかりだったので、
機会があれば別のコースを歩いてみようと考えています。



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23:59  |  ボヘミア地方  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.07.16 (Thu)

久々の列車の旅

ドイツはドレスデン郊外でミートの仕事のため、
久々に電車で小旅行をした。


車を持ってからはほぼ車移動だったので超新鮮だ。
だけど車窓からの景色を見ていると、昔はあーだったとか、ここであんな事あったな…とか、いろいろ思い出しましたね。


ドレスデンに向かう列車はヴルタヴァ川とエルベ川沿いを走る。
その景色が綺麗なんだ。
特に国境を越えてからが綺麗だ。


ケーニヒシュテイン要塞も見える。


下見で行った時に要塞から眺めたパノラマだが、この川沿いを走ったのである。


そしてバシュタイ橋も見える。


アップしてみたが車窓からの撮影は難しい。
明日行くからゆっくり撮影するか。


プラハから2時間と少々。
ドレスデン駅に到着し、さらにトラムで20分ほど走る。
途中、事故の関係で30分ほどトラムは停車するも、無事ホテル着。
夕食としてギリシャ料理のスーブラキを平らげる。
この今、ドイツでギリシャ料理って…。
でも美味いんだなぁ。
ユーロは荒れてても、ギリシャ料理はドイツで食べても美味いんだな。


明日から歩くツアーが始まる。


頑張るぞー!
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22:46  |  ドイツ  |  トラックバック(0)  |  コメント(5)  |  編集  |  Top↑

2015.07.07 (Tue)

バイエルンの森

プラハから南西、ドイツとの国境沿いには山地が連なっている。
山地とは言うもののチェコ側の最高峰で1300mを少し超えるぐらいだ。
その山地はシュマヴァという。
ドイツ語だとベーメンヴァルト。
ボヘミアの森だ。
そして国境を越え、ドイツに入るとバイエルンの森と名が変わる。
一帯は国立公園だ。
国立公園のため時間帯によっては一般車の進入が規制されている所もあり、
その区域は国立公園内を走る連絡バスで移動しなければならない。


バイエルンの森側の最高峰が1453mのラヘル山。
その山を登るハイキングコースがある。
standortが今いる場所で、そこからぐるりと一周ハイキングができる。
ラヘル山登頂、ラヘル礼拝堂、ラヘル湖が主な見所である。
スタート地点とラヘル山山頂の高低差が500mほどあるのでだいぶ登る。
足もとも岩地、砂利地、泥地と様々だから半端な恰好だと苦戦すること間違いない。
ハイキング用の服装と靴がおすすめだ。


標高が高くなるにつれ枯れた樹木が増えて行く。
キクイムシに食いつくされたのか・・・
それとも酸性雨か・・・
とにかく荒涼としている。


山頂の下にはヴァルトシュミットハウスがあり、食事、ドリンクを調達できる。
テーブルには「持ち込み禁止!」とドイツ語とチェコ語の注意書きがあった。
ドイツ語での注意書きには!マークが一つしかなかったのに、
チェコ語には!マークが三つもあったことに、「なるほどね。」と理解する事が容易にでき、
テーブルでマットーニ片手にホウスカを頬張っているチェコ一家を想像する事ができた。
マットーニはチェコのミネラルウォーターの銘柄で、ホウスカは亀パンである。
そのホウスカにサラミやハムやチーズを挟んで食べているんだろうな。


ヴァルトシュミットハウスのそばからバイエルンの森を見下ろす事ができる。
深い深い森、標高が低くなると湿地もある。
いにしえ人たるローマ人がドナウやラインを越え、
ゲルマンの深い森を制覇しなかった理由が分かる。


ヴァルトシュミットハウスで休憩をした後、ラヘル山登頂達成。


そこからは下りだ。
途中ラヘル礼拝堂に立ち寄ると、そこからラヘル湖を見下ろす事ができた。


そのラヘル湖からラヘル山を見上げる。


そして最後はダラダラとメリハリも無く歩き、出発地点に戻って来た。
所要時間3時間40分程度。
良い運動になった。


さて今回は交通規制の事や連絡バスについて知らずに出掛けてしまったため、
連絡バスに乗らずハイキング出発地点までの約7kmを歩いてしまった。
そこからのハイキング開始だったので、スタート時にすでに疲労度も激しく、
まずは休憩すべくヴァルトシュミットハウスに向かうルートで歩き始めたけれど、
ラヘル湖、ラヘル礼拝堂、ラヘル山頂、ヴァルトシュミットハウスという逆ルートもありだな。





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11:36  |  ドイツ  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.07.06 (Mon)

ありがとう。ただそれだけ。

今回の内容は書く必要のない事だけれど、
自分が忘れないために書き残しておこうと思いました。
後年読み返したら、もっと具体的に書いておけばよかったと思うかも…。

4月終わり、とある噂が僕のもとに届いた。
それを聞いた僕は動揺を隠し切れなかったが、
平常心を保つ事を心がける事にした。
その噂は大きくは広がらず、僕も広げる事をしなかったから、
ごく一部の間でしか広まっていない。
本当にごく一部の間での噂だったのである。

5月、その噂はいくらか良い噂になりつつあった。
だからか、僕はその噂を気にしつつも、あまり不安を抱かなかった。
噂の主からも
「そんな噂より身体だけは気を付けて、仕事を頑張るように!」
と戒められてしまった。

6月前半も5月同様だった。
相変わらず、「仕事頑張れ!」と発破をかけられる始末。
僕は言われるがままに仕事を頑張るしかない。

6月27日、噂が悪い方向に向かいそうだと連絡が入った。
6月29日、噂は確実に悪くなって行った。
「1週間以内には噂の主が消えてしまうかもしれない。」と言うのだ。
それでも噂の主は僕に対して、
「元気で仕事頑張れ!」
と話していたのだそうだ。

6月30日15:30ごろ、
ひょんな事からプラハ在住の知人から噂に関わる事について問われた。
普段であればそんな問いは笑って吹き飛ばし、冗談で返したり、
あなたには関係のないことだからと何も答えなかったかもしれないが、
その時はなぜか噂の真相を話していた。
何がそうさせたのか皆目見当がつかない。
そしてひとり何かを決断し、18:30ごろにその決断した内容を同じく噂を知る者に伝えた。
「消える前に間に合うかも!」

7月1日夜中2:52、「来ても間に合わないかも!」とメッセージが来た。
同日8:32、日本時間15:28に噂の主が消えてしまった旨、連絡が入る。
連絡が来た4分前に噂の主が消えてしまったのだ。
間に合わなかったか…

7月2日11:50、成田空港に着いた僕はとにかく噂の主がいた場所に向かった。
14:30、同じく噂の主がいた場所に駆けつけてきた者と合流した。
その時に改めて感じたのだが、僕は噂の現場からは遠く離れていたから、
噂についての内容は断片的にしか入ってこなかったけれど、
噂の現場にいた人々は心情、本当に大変だったと思う。
感謝しかない。

その者たちにつき従い噂の主がいた場所に赴いた。
そこに噂の主はいる。
でもいない。

1日早ければ噂の主が消える前に間に合っていたんだ。
悔しさが募るも、あえて噂の主は間に合わないようにしたんだな…。
あの人の性格ならそうだ。
あの母の性格なら絶対そうだろう。
2時間ほど母のそばにいて、
16:30、皆で母を見送った。

7月3日22:05プラハの空港に到着。
母はどこからでも見ているだろうから、恥ずかしいマネはできない。
とりあえず仕事は頑張らないといけない。

最愛なる母よ、今まで本当にありがとうございました。

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12:39  |  くだらないけど・・・の話  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑
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