2015.09.27 (Sun)

プラハを探す 呆れてる子供

プラハはマラーストラナにあるマルテージュスケー広場には日本大使館がある。
日本大使館が利用している建物は大きすぎず、小さすぎず、
お洒落な建物でぼくは好きな建物である。

この建物はもともとはルネサンススタイルの家で、17世紀終わりにバロックスタイルに改築され、
1760年代にトゥルブー伯爵家のためにロココスタイルに手直しされた建物だ。
トゥルブー伯爵のための建物と言う事で、トゥルボフスキー宮殿と言う名で呼ばれている。


建物には菊のご紋、日本大使館の看板、休館日案内板が設置されている。
チェコに住み始めた邦人、日本へ訪れるチェコ人など、
大使館に行けばいろいろ親切にお手伝いしてくれる。
ただ今現在、ぼく自身が大使館にお世話になることはほとんどない。
ないが、仕事柄、ツーリストのヘルプで大使館に来る事はある。
何のヘルプかと言うと、パスポート再発行のお手伝いだ。

残念な事ではあるが、スリや置き引き被害が多いプラハでは、
滞在中にパスポート盗難、紛失といった被害がまれにある。
褒められた事ではないけれど、プラハのスリや置き引きは強盗、強奪ではなく、
隙を見つけてカバンから貴重品だけ抜き取るというテクニシャンスリが多い。
だから被害者には申し訳ないが、「抜き取られたあなたに隙があったのでしょうね・・・」
という節が多分にあるのだが、さすがにそのような文言を直接被害者に言えないし、
被害者は相当ショックを受けているし、明日は我が身!でもあるから、
真摯な気持ちでお手伝いをするし、大使館の担当者も本当に親切に対応してくれる。

でもね、大使館の前に立ったら建物の上を見上げてごらん。
1760年代にすでに予知されていたのかな?
あれま・・・
またか・・・
だって。
呆れて、頭抑えてるよ。


プラハにいらっしゃる方々、貴重品管理はくれぐれも気を付けてください。
他人任せはダメです。
貴重品は自己管理ですよ。
常に緊張感を持って行動してください。


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16:08  |  プラハを探す  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.09.21 (Mon)

ブランカ

ブランカ。
トンネルの名前である。

プラハ内環状道路西回りルートのほとんどの区間がトンネルになっている。
その一部がブランカトンネルなのである。
ブランカは2007年に着工されて、当初の予定では2011年には開通しているはずだったのに、プラハ市の建設費未納などから工期が延長に延長を重ね、一昨日の9月19日、ついに開通した。
このブランカのおかげで市内の渋滞が緩和されるであろう事が期待されているが、ぼくの日常生活にはあまり利用価値は無いんだな。
でも本当に渋滞は緩和されるのだろうか?
レッツシーだ。


さて新し物好きのぼくは、早速、昨日の日曜日、サッカーの練習前にそのブランカを走ってみた。
ドレスデン方面からプラハ入りする、つまりプラハを北側から入るルートを取った。
日本人ツアーグループもよく宿泊するホテルDUOのそばを通ったのが朝9:19、日曜日で通常ある渋滞も無く、4分後にはトンネルの入口に到着していた。
いくら日曜日だったとは言え、速い。
しかしここまでの道はすでにあった道だ。
目的はトンネルである。


ブランカに入り、そこからストロモフカ公園の下、スパルタスタジアムの下、フラッチャンスカーの下、デイヴィツェの下と進むと、すでにあるストラホフトンネルに接続する。

今回は途中のスパルタスタジアムの所でトンネルを出てみて、デイヴィツェの入り口から再度ブランカ内へ進み、ストラホフトンネルに接続してアンデェル出口でトンネルを出て練習会場に向かった。
途中下車的に一度トンネルを出たけれど、9:25頃にブランカ内に入り、アンデェル出口を出たのが9:45頃だった。
ブランカ内の最高速度は50km/hと低速だけれど、信号も無いし街中を通る事も無く、スムーズにプラハの南北を抜ける事ができる。
次回は渋滞も予想される平日に走ってみよう。

でもね、このルートを観光バスで通ったら、観光客が持つプラハの印象は「パネラークとトンネルだけ」なんてことになるかもしれないなぁ。
パネラークとは郊外に建ち並ぶ集合団地のことです。

今回の内容はプラハの地理感が無い人には全くをもってシュパネルスケーヴェスニツェでしたね。
スペインの村、ちんぷんかんぷんってことです。
失礼をば致しました。
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16:55  |  プラハ  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.09.17 (Thu)

プラハカフェ巡り 2015008 U ROTLEVŮ

カロリヌムの裏。
つまりカレル大学の裏。
旧市街のど真ん中なのにほんの少しだけ、そう、たった15mほど路地に入った所だからなのか、人通りがぐっと減っている場所。


そこに u rotlevůと言うカフェがあった。


赤いライオンの事ですね。
まだ新しいから店内はキレイだし、知られていないから人も少ない。


気になったから早速入店したのだけれど、昼食後に立ち寄ったので軽くバニラアイスにした。
軽くと言っても3スクープ…。
1スクープ12コルナ。


飲み物は当然エスプレッソ。
普通ににがく40コルナ。
これまた普通の値段だ。


店内席の他に奥にテラス席があり、天気が良かったのでテラス席に座った。
静かで旧市街のど真ん中にいる事を忘れさせる場所だ。


カロリヌムから通じている入り口から大学関係者がふたり入って来た。
「ここは知らなかったなぁ」
ひとりの男が言った。
本当にど真ん中なのにねぇ。

静かで良かった。
U ROTLEVŮ です。
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16:42  |  カフェ巡り  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.09.14 (Mon)

カラフルブルーオニオン

ブルーオニオンをご存知であろうか。
青いタマネギ・・・磁器のデザインだ。
本家本元はドイツはマイセン磁器のデザインで、
本来、中国のザクロをモチーフにしたのだけれど、
ドイツではザクロに馴染みが無くタマネギと間違えられてしまったようだ。
写真はアウトレットだけどマイセンのカップ。


このマイセンのブルーオニオンを真似て色々な地域でブルーオニオンが作られた。
そのブルーオニオンがチェコにもあるのだ。
見よ。マイセンそっくりではないか!
ところが値段はマイセンにそっくりではない。
安い、安すぎる!
Dubí社のブルーオニオンで、チェコマイセンなんて呼ぶ人もいる。


ブルーオニオンは色もあっさりしていて落ち着きがあるから、
大人の雰囲気があるかもしれないけれど、マイセンの二番煎じだからなぁ。
安いのは良いけれど、せっかくなら高いの承知でマイセンが欲しいよ・・・
そう思っちゃうあなたにこちらをお薦めします。
カラフルブルーオニオン。


ちなみにDubí社のエンブレムはシンプルにD。
そしてWEBページは↓。
www.cesky.porcelan.cz/


カラフルブルーオニオンを見た瞬間、あっ!っと思いましたね。
小さいお皿が160コルナですって。


なんかチェコらしい色合い。
プラハではなく、チェコの田舎、牧歌的な色合い。
チェコと言うかモラビアっぽい感じなのかなぁ。


どうですか?
カラフルブルーオニオンは・・・。


最近は食器となるとポーランド食器ばかり登場して、
ポーランド食器におされぎみだったのでチェコ物をお伝えしたかったのです。
カラフルブルーオニオンでした。

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19:25  |  プラハで買おう  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.09.11 (Fri)

Vinobraní ブドウ収穫祭

毎年9月の週末にはチェコのワインの産地でブドウ収穫祭がおこなわれる。
プラハはワインの産地ではないけれど、古くは900年代からブドウの栽培がされており、
14世紀のカレル王の時代にはフランスよりブルゴーニュ産のブドウ苗を持ちこみ、
ブドウの質を向上させ良質なワインが造られていた。

ここはプラハはヴィノフラディ。
この地が1788年からViničně hory、ようはブドウ園の山と名付いていたことから、
Vinohradyと呼ばれるようになったわけだ。
かつてブドウ畑があった場所はもう住宅地だから、ブドウ畑を見る事はない。
しかし、かつてはブドウ園が広がっていたという事から、
ブドウ収穫祭がおこなわれるのだ。


ヴィノフラディのイジーホスポデェブラ広場で催されたブドウ収穫祭では、
チェコ各地のブドウ栽培業者がそれぞれのワインを販売しているので、
色々なワインを楽しむことができる。
もちろんワインだけではない。
ブドウ収穫祭のメインの飲み物は期間限定飲料可能のブルチャークだ。


広場に建つ聖心教会。


ブルチャークは発酵が始まったブドウ汁で、ワインになる前の段階のぶどう酒である。
ちなみに写真は100%リンゴジュース。


そして見よ。
これが赤版ブルチャークである。
甘い白ブルチャークより酸味が強く飲みやすい。と思う。
この赤白両ブルチャークをペットボトル買いし飲み歩くチェコ人、
家用に持ち帰るチェコ人とそれぞれだが、期間限定飲料を楽しんでいる。


日も落ち、音楽隊の演奏が始まる。
まだ酔いが回っていないのか、チェコ人だからか、あまり盛り上がらない。


私はブルチャーク2dclを6か7杯ほど飲んで帰宅した。


イジーホスポデェブラ広場のブドウ収穫祭は12日までですが、
Vinobraní 2015と検索すれば色々な場所で開かれるブドウ収穫祭を知ることができます。
しかしブドウ収穫祭は9月の週末だけですから、あと2週しかチャンスがありませんよ。


先日ワインバーで飲んだ白ブルチャーク。
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23:17  |  プラハ  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  編集  |  Top↑

2015.09.11 (Fri)

プラハを探す ベルトランカ

モーツァルトヴァ通り
スミーホフ、プラハ5区
モーツァルト通りと言う意味だ。


モーツァルトを知らぬ者はいないだろう。
超有名な女たらしだ。
いや、超天才の音楽家である。の方が良いか。

モーツァルト通りの奥には瀟洒な建物の門があり、
金色板に黒字でW.A.Mozart Muzeum Bertramkaとある。
そう、ここはモーツァルト記念館なのだ。


なぜここが記念館なのか。
答えは簡単だ。
モーツァルトがここに滞在した事があるからだ。
1787年10月、モーツァルトはあるオペラ公演するためにプラハへ来た。
オペラの脚本家はダ・ポンテでタイトルは「ドン・ジョヴァンニ」。
その「ドン・ジョヴァンニ」の序曲をここベルトランカで書き上げた。
「ドン・ジョヴァンニ」の初演が行われたスタヴォフスケー劇場の案内人は、
序曲が完成したのは初演当日の朝だったんだ!
なんて説明してツーリストを沸かせるけれど本当かなぁ。


ここベルトランカ別荘の所有者はモーツァルトの友人ドゥシェク夫妻。
ドゥシェク氏も音楽家で、夫人はソプラノ歌手だった。
特に婦人は美貌と美声の持ち主だったようで、
周りからは「ナイチンゲールのようだ。」と評されていた。
なかなか歌わないが歌うと美しい歌声だ。と言う事なのだろう。

こんな逸話がある。
ドゥシェク夫人が、自分のためのアリアを完成させるまで外に出さないと、
モーツァルトを敷地内の納屋に閉じ込めてしまった。
モーツァルトは仕返しとして、音程にばらつきのある歌い難いアリアを作曲し、
初見で間違わず歌いあげたらプレゼントするが、もし間違えたら燃やしてしまう。
と言って、楽譜を夫人に渡した。
夫人は楽譜に目を通すと、間違うことなく歌いあげたのだ。
だからそのアリアは今も残っている。
そのアリアは「私のうるわしい恋人よ、さようなら」だという。


庭の奥地にはモーツァルトが使ったという石のテーブルも残る。


そんなエピソードの残るベルトランカ荘は、
モーツァルト記念館として一般公開されていた。
しかし、いつからか、確か2007か8年ぐらいからだったか、
諸問題で閉館してしまいモーツァルトファンを失望させた。
ところが去年あたり、「また開いている」という噂を聞きつけ、
先日、確認も兼ねて出掛けてみた。
すると噂通り記念館は開いているではないか。
係員に尋ねると、「当面、開いている予定だ。」と回答が返って来た。


しかし、「とにかくオープン。」が目標だったのか、敷地は荒れ放題。
展示物も以前とは異なり、昔展示されていたモーツァルトの遺髪などは無くなっていた。
それに、また何か問題があると閉まる可能性もある。
それでもモーツァルト好きには朗報ではないか。

モーツァルトが実際にいたんだ。
ベルトランカへ足を延ばしてみよう。
http://www.bertramka.eu/
トラム亭Andelより徒歩5分。
中心地からはトラム9番がベター。
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12:50  |  プラハを探す  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.09.05 (Sat)

ドクター肥沼について

8月の半ばにある動画を見た。
関ジャニの村上くんがMCの番組だった。
番組タイトルは「ありえへん∞世界」で、
この日の内容は「世界と日本の知られざる絆SP」だった。
メイン企画は「WWⅡ時にパラオの住民を救った日本人」で、
普通に興味があったので視聴をしたのだ。
もちろん番組はパラオだけでなく他のコーナーもあったので、
「次は…フィリピンで救った」とか、「ドイツでは…」といった具合で、
CMに入る度に「この後は!」と番組内容が予告された。

その予告を見て、えっ?となった。
ドイツ?
いつのドイツ?
誰?
当時の欧州で杉原千畝さんでない他のだれかで?
首をかしげた。
動画を見続けて行くと、ドイツのコーナーに入った。
その絆の主たる日本人はベルリンから東、もうポーランドに近い小さな町に住んでいた。
元々はベルリンで生活をしていたのだが、彼の運命だったのだろう、
この町に住むことになった。
町の名はWriezen.
ヴリーツェン。


彼は医師だった。
自分の専門分野の知識技術を向上させるため、
今から70年以上も前に渡独し、ベルリンで研究に明け暮れていた。
しかし戦後の混乱の中、専門ではない分野で戦う事になる。
専門分野の研究を続けるか、
専門分野外ではあるが治療を必要とする患者のために研究を捨てるか、
選択しなくてはいけない。
彼は研究者ではなく医師だった。
この町で治療に専念する道を選んだのだ。
この教会を見ながら町を歩いたであろう。


それに今も昔も食文化はあまり変化はないであろうから、
こんなハンバーグやソーセージを食べていたかもしれない。
でも戦後間もないからハンバーグとかソーセージは無かったかな…?


彼がヴリーツェンの病院に着くと驚いた。
他に医師が誰もおらず、看護師さんのみが院内を忙しく走り回っている。
前任医師は皆、あまりの大変さのために着任してすぐ逃げ出してしまっていたのだ。
看護師達は新任の彼を見ても、
「どうせ…」と不信感剥き出しだったようだが、
彼は前任医師とは違った。


元病院だった建物は現在は町役場になっているが、
入り口にはこんなプレートが設置されている。


町役場の前にある公園には記念碑がある。


患者は増える一方で、ベットも足りず、薬も底をつくも、
自分を必要としている患者のために奮闘する。


しかし、結局、治療をしていた病気、チフスに掛かり亡くなってしまった。


今もヴリーツェンのお墓に眠る。
墓地の管理人さんに墓石の場所を尋ねたら、ニコリと笑ってひと言。
「付いて来い。」
ここまで案内してくれた。


彼の名前は肥沼信次。
今もヴリーツェンの人々が誇る日本人である。


僕もまだ読んでいないからドクター肥沼については番組で見た内容しか知らないが、
もっと詳しく知りたい方は「リーツェンの桜」を読むと良い。


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08:30  |  ドイツ  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2015.09.03 (Thu)

ジャテツのホップ

ピヴォを造るのに欠かせない物。
それは水、麦芽、ホップ。
特にホップは苦みと香りを生み出す重要な代物だ。


プラハから北西に行くとホップ畑が広がっている。
この地域で造られるホップをジャテツキーフメルと言う。
ジャテツ産ホップ。
ドイツ語のザーツ産ホップの方が知られているかもしれない。


ジャテツ地区でのホップ栽培の歴史は古く、
すでに8,9世紀にはホップについての情報がちらほらと登場している。
14世紀のカレル4世の統治時にボヘミアにホップ畑が広がり、
30年戦争で大打撃を受けるも、18世紀終わりには再び良質のホップ作りが可能になっていた。


僕は飲むのが専門だから詳しくは分からないけれど、
ジャテツ産ホップは香りの高いアロマホップで、α酸の含有量も高いとか。
このα酸が煮沸工程の段階でイソα酸に変換される。
イソα酸が苦みの最大のポイントになるのだそうだ。
しかもホップにもいろいろ種類があるので、
ホップ次第で風味も香りも全然異なるピヴォになってしまう。
だからホップの研究所も存在し、理想のピヴォを作り上げるべくホップの研究をしているのだ。


そして別にコマーシャルをする訳ではないが、
サントリーのプレミアムモルツはジャテツ産ホップも使用しているのである。


先日そのホップ畑視察に同行したのでした。
ホップ買い付け商社マンみたいな格好で…。


さて9/4、5、つまり明日と明後日はジャテツでホップフェスティバルがあります。
ジャテツ産ホップを使っているピヴォヴァル(ビール醸造所)が出店し、
いろいろなピヴォを飲める楽しいフェスティバルです。
そしてなんとサントリーも出店するのでプレミアムモルツも飲めるのですよ。
めちゃくちゃ安い値段で…。
http://www.docesna.cz/index.php?page=4&lang=


でも僕は仕事で行けないの。
残念。

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12:57  |  ボヘミア地方  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑
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