2016.09.26 (Mon)

ダンシングハウスの最上階

プラハでも超有名になったダンシングハウス。


今、上階がホテルになった。


その最上階がグラスBARで、宿泊客でなくてもお茶しながらくつろげる。
バーのひとつ下のフロアはレストランだ。


ダンシングハウスのフレッドの頭。
そう、ダンシングハウスは通称ジンジャー&フレッドともよばれている。
ハリウッドの名ダンスコンビからついた。


ここからの景色は最高である。


そしてジンジャーレモネードを頼んだ。
55コルナだからそれほど高く無い。
下のレストランは高そうだけど…。


ただ、女子は気を付けてね。
フロアがミラーになってるから。


ぜひ一度登ってみてはいかが?
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2016.09.23 (Fri)

区別列車

さて、いつだったかな?
女性専用車両なるものが登場したのは?
私がチェコに来てからかな?
んん?いつ?
でも、なにかと話題なりましたね。

そして以後か以前か忘れたけれど、
いろんな車両ができました。
通勤ラッシュ時に座席が畳まれる車両。
乗降車ドアが増える車両。
なんかいろいろできました。

だからね、いろいろ車両区別をつけるなら、
いっそのこと作っちゃえば良いに。
区別車両、区別列車を。

まず声高で言いたいのはこれです。
妊婦さん&ベビーカー専用車両。
これは車両の半分でも良いから妊婦さん&ベビーカー専用スペースを設ければ、他の乗客に気を使ってしまうお母さん、逆にベビーカーが邪魔だと吠えるモンスターパッセンジャー、双方に有益でしょ。
我が物顔でベビーカーを運ぶお母様もたまーにいるけれど、ほとんどのお母様はベビーカーを気にして出掛けられないんじゃないかな?
妊婦さんにも嬉しいでしょ。
少子化のこのご時世には大事な心づかいだと思う。

さらにシルバー車両。
70歳以上の人のための車両だ。
ご高齢者に気兼ねなく乗車できる。
孫は同乗できるシステムにしよう。

さらにさらに…
イヤホンガンガン車両。
スポーツ新聞広げ放題車両。
スマフォやりたい放題車両。
ファミリー車両。
中学生車両。
高校生車両。
大学生車両。
JK車両。
JD車両。
外国人車両。

話が趣旨とずれているけれど、
いくらでも区別列車ができるじゃん。
まあ、やったらやったで苦情はあるでしょうね。

でもね、少なくとも妊婦さん&ベビーカー車両は作って欲しい。
それは平等ではないと言う人がいるかもしれないけれど、すみません、そこは平等でなくて良いんです。
諸処問題はあるかもしれないけれど、ニッポンの次世代で活躍する子達を育てるお母さんを大切にしなくてはいけないのです。
そうしないとニッポンの将来はどうなることか…。

女性専用車両よりも妊婦さん&ベビーカー車両を!
そしてこうるさい年寄りのシルバー車両を!
まずは名鉄さんお願いします。

ってなんで名鉄?


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19:48  |  くだらないけど・・・の話  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2016.09.13 (Tue)

スラブ叙事詩で見つけちゃった。

来年の3月に日本にレンタルが決まっているアルフォンス ムハ作のスラブ叙事詩を今月終わりに案内する仕事があるので、復習がてら自分が書いたブログ「スラブ叙事詩」を読み直し、絵を見直してみたら、なんと、ある発見に至った。
絵は「セルビア皇帝シュテファン ウロシュ ドゥシャンの東ローマ帝国皇帝の戴冠」。
1927年に描かれたものなのに、なぜか今流行の物が描きこまれている。


絵の内容は、1346年に現マケドニアのスコピエで戴冠式を終え、パレードするドゥシャン皇帝と帯同者達で、中央にピンクのシーツに囲まれているのがドゥシャンだ。
頭には王冠を載せ左手に宝珠を持つ。
右手には通常、王笏を持っているんだけど…


あれ…?自撮り棒じゃね?


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15:29  |  くだらないけど・・・の話  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2016.09.13 (Tue)

ヴェラ チャースラフスカー

1997年3月は私がプラハに来た年だ。
旅行業でチェコ案内をする機会を得たからだ。
はっきり言って、来た当時はチェコについての詳細なんて知らないことの方が多すぎた。
当時チェコに来るお客さんは、すでにヨーロッパはいろいろ回っており、
行く国が無くなったからチェコに来た人が多かったので、言い方は良くないが癖のある人が多かった。
いわゆる自称ヨーロッパ通である。
だから仕事を始めた当初はかなりビビりながら仕事をしていた記憶がある。


しかし、チェコは旧共産圏国で、日本にはまだ詳細な情報は入っていなかったため、
旧共産圏国一色で捉えている人、もしくは国と事物をバラバラに覚えている人も多く、
「へっ?」っと思わせるトンチンカンな質問を受ける事があった。し、今もよくある。
もちろんかなり精通している人もいて、「下手な事言えないぞ。」とう時もあったけれど、
混同してしまっていると思われる質問は良くあった。
例えば「へっ?」質問ベスト3は以下の通り。
・チトーの時代は?
・チャウ、チャウ、ほら革命で射殺された、ほら?
・コマネチは?
チトーはユーゴスラビアだし、
次のチャウチャウはチャウセスクでルーマニアだし、
コマネチもルーマニア。


事物は知っているのに、惜しいかな、国名と事物が一致しない。
ただそんなトンチンカンな質問がある中、必ず間違えずに出てくる名前がチャースラフスカーだった。
名前がパッと出て来なくても、「東京オリンピックで体操でメダルを獲った綺麗な女性選手ですよ。」
多分、コマネチと言った人々も、チャースラフスカーと混同していたのかもしれないが、
1964年の東京オリンピックを記憶している世代から受ける質問の圧倒的多数がチャースラフスカーだったのである。


東京オリンピックの7年後に生まれた私はチャースラフスカーについては知らなかった。
なにせ記憶に残っている最初のオリンピックはロス五輪なのだから。
だからチャースラフスカーについて知ろうと、知り合いのチェコ人に聞いてみた。
しかし、聞かれたチェコ人も彼女の事を知らなかった。
「誰それ?」
まあ、確かに1997、98年に当時20代の若者に、
彼らが生まれる前に活躍した人について聞いても、知らないのは仕方がない。
今の日本人の若者に30年前に活躍した人を尋ねても同じ事になるだろう。


だから彼女について知るべく、この本が文庫化された2006年に早速購入したりもした。


チャースラフスカーはローマ、東京、メキシコシティ五輪で合計11個メダルを獲得している。
そのうち金が7個、銀が4個。
1964年の東京オリンピックでは「オリンピックの花」「体操の名花」などと呼ばれ、
それはそれはかなりの人気者となったようだ。
東京オリンピック世代の人々はその可憐な姿が目に焼き付いているのであろう。


しかしその4年後の1968年のメキシコ五輪は、チェコスロバキア民主化運動、
いわゆる「プラハの春」の起こった年で、彼女は民主化運動を支持し、
二千語宣言に署名した事によりオリンピック出場も危ぶまれていた。
当時26歳。
メキシコ五輪は、ワルシャワ条約機構軍のチェコスロバキア侵攻約2か月後の10月に開催され、
チャースラフスカーは直前に出国許可を得てオリンピックを迎え、
祖国のために最高の演技をし、個人総合で金メダルを獲得した。
床でも金メダルを獲得するが、なんとソ連選手との同点優勝となり、
表彰式ではソ連国歌が流れた際、寂しげや哀しげがあい混じった表情で、
彼女の左側に立つソ連選手を背けるように右下を見つめるという印象的なシーンがあった。
そのシーンは今でもYOUTUBEなどで見る事ができる。
尚、メキシコ五輪ではチェコスロバキア体操チームは黒のレオタードを着ていたのだ。


その後は政治や時代に翻弄され苦悩の連続であったが、その苦悩はここでは紹介しない。
いずれにしても、日本で60代以上の方たちの間で一番有名なチェコ人だったのだ。
そんな彼女が先月30日にすい臓がんで亡くなってしまった。
家族の意向により国葬とはならなかったけれど、昨日9月12日に、
チェコ人の民族意識の塊でもある国民劇場でお別れ会が催された。


チャースラフスカーと所縁のある方達のスピーチが続き、
彼女が活躍した体操でのエピソードのお芝居が披露された。


劇場に入れない人々のために隣接する広場にはスクリーンが設置され、
劇場内の模様がライブで流れ、多くの人々が彼女を偲ぶべく集まっていた。
お芝居の中で、彼女役が赤い星の付いた紙製の戦車を持ち上げ振り回すシーンでは、
どこからともなく拍手が始まり拍手の嵐となり、表彰式でうつむくシーンでも拍手は鳴りやまなかった。


最後には彼女のドキュメントフィルムが流れ、それを見ているほとんどのチェコ人が、
若い世代はあまりおらず、彼女と同世代の人々ばかりだったけれど、
目じりに指を押しあてながら、人によってはハンカチを当てながら、しみじみ見入っていた。
そんな光景を見ながら私もウルウル来てしまった。


祖国のために活躍し、苦悩を強いられた者が、
民族意識の塊でもある国民劇場という場所で、
祖国を愛する者たちから見送られる。
そう言う場所があるチェコを羨ましいとも思いながら、
1度しか会った事のない彼女に感謝をしました。
「Věro Děkujeme! ヴェラ、ありがとう!」





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12:46  |  プラハ  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2016.09.07 (Wed)

ピーセクの石橋

プラハから南へ110kmほどの所にピーセクという町がある。
1243年に設立されている。
実際にはもっと前、旧石器時代から人類が生活していた形跡はあるが、ピーセクと言う名が、1243年にヴァーツラフ1世が発行した文書に初めて登場するので、1243年設立となっている。
町にはオタヴァ川が流れ、その昔は金が採掘されていた。
しかし町の設立の目的は金採掘だけでなく、Zlatá stezkaと呼ばれた中世の通商行路を守る目的があった。
Zlatá stezka 黄金の道。

13世紀後半、プシェミスル オタカル2世の命により、橋が建設された。
全長約110m、幅は6.25mと小さい橋ではあるが、プラハのカレル橋よりも古いのである。
これにより、Zlatá stezkaはバルト地域と地中海地域が結ばれたのである。

また橋は鹿の橋と呼ばれていたのだとか…。
昔話によると、最初に渡ったのが予期せね事に森から出没した鹿だったんだとか…。
ただ、ほとんどの住民は古い橋と呼んでいた。
2007年になってやっと、ピーセクの石橋 と決まり、名前については一件落着となった。
2002年の大洪水では増水した水面から橋に立つ聖人像の姿のみが見えるほどまで増水し、橋自体は水没してしまっている。
その後、迅速な修復工事のおかげもあり、今も13世紀後半の姿を残すピーセクの石橋を見、渡ることができるのである。


そうそう。
ピーセクは橋だけではない。
町も可愛らしいので、プラハから南に出かける際は立ち寄ってみてはいかがだろうか。
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10:38  |  ボヘミア地方  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑
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