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2018.04.23 (Mon)

Zbirov ズビロフ

プラハとドイツのニュルンベルクを結ぶ重要な交易路に、Via Carolinaもしくはニュルンベルク街道と呼ばれる街道がある。
今はその街道をヒントに高速道路D5が走っている。
その街道をプラハから約50kmほど走ると、ズビロフ城が建っている。


ロマネスク、ゴシック、フス時代、ルネサンス、バロック、古典主義、アール・ヌーヴォーとさまざまな様式を持ち合わせているお城だ。
つまり古くから存在し、立地、情勢などを含め重要なお城だった事が分かる。


もとはこの地域の貴族が、そしてプシェミスル・オタカル2世が、カレル4世が、ジクムンドが、ルドルフ2世が所有し、特にルドルフ2世の時代に大改修されルネサンス化された。
17世紀の30年戦争で多大な被害を受け、19世紀に入るまで荒れ放題となってしまった。


1868年に、プロイセン生まれの鉄鋼王Bethel Henry Strousbergが購入し、ネオルネサンスの城に大改修をした。彼はこの地を鉄鋼の町、いわゆるチェコのマンチェスターにしようと考えていたが、製鉄で失敗し破産してしまう。
その後、コロレド・マンスフェルト家が購入したが、マンスフェルト家はこの城では生活せず、賃貸として活用した。


第二次世界大戦中はナチスドイツが没収し使用、戦後はチェコスロバキア軍が利用し軍事機密拠点となった。2004年に軍撤退後、ガストロ-ジョフィンが所有し2005年より一般公開される。
現在はホテル、レストラン、結婚式、見学ツアーなど、多くの訪問客が訪れるお城だ。


ちなみに、ここはテンプル騎士団との縁もあり、その事もあって2012年1月にレオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画がイタリア以外で初めて公開された城でもある。
実はそのテンプル騎士団は1307年10月13日金曜日に時のフランス王フィリップ4世の意により一斉逮捕され異端審問を受け活動禁止、その後1312年には教皇クレメンス5世により騎士団禁止令を受けた。13日の金曜日…。そうご存知の13日の金曜日の所以のひとつとも言われているのだ
現在もズビロフ城では月一ペースでテンプル騎士団の団員が集合しているそうだ。

あっ、チェコネタだとこれの方が大事だった。
チェコ代表するアール・ヌーヴォーの芸術家、アルフォンス・ムハ(ミュシャ)がスラブ叙事詩を描くためズビロフ城をアトリエに使い、約20年ほど家族と共に生活をしていた。そう、これこれ。
で、ムハはスラブ叙事詩のためのモデルを雇っていて、その多くはズビロフの住民だったそうで、現在になってスラブ叙事詩の詳しい資料本が出版されたのだけれど、その資料本には多くの製作中の写真もあり、その写真にズビロフ在住者の祖父母がモデルとして写っていて驚いた。なんて話もあるようです(お城のガイドさん談)。

ズビロフ城にはムハ物はあまり無いのですが、同じ空間でインスピレーションを受けてみませんか?


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10:23  |  ボヘミア地方  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑
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