2012.07.26 (Thu)

チェコ町歩き kostnice

日本人の感性では理解できないかもしれない。
だから日本では見ることもないだろう。
あんな内装の教会...
IMG_3845.jpg
???

プラハから東へ約60km離れたクトナーホラという町にその教会が建つ。
かつては銀山のおかげで栄え、ボヘミアではプラハに次ぐ第2の町となり、
王宮まで建てられ、実際ボヘミア王が滞在していた町でもあった。

しかし今はどうだろう?
ツーリストは出掛けるけれど、昔ほど活気はあるのだろうか?

そもそも町は12世紀にシトー修道会が入植し、
修道院を設立したのが始まりである。
その場所は現在の中心地からは外れた、sedlec(セドレツ)地区。
18世紀終わりにヨゼフ2世の命で修道院が廃止され、敷地はたばこ工場となり、
現在はフィリップ・モーリスがその工場を持っている。
話は全然違うけれど、チェコで販売されているマルボロはクトナーホラ産だ。

そのセドレツ地区にコストニツェが建つ。
納骨堂のことだ。
IMG_3854.jpg

1278年、プシェミスル・オタカル2世王はセドレツ大修道院長インドジフを聖地に派遣した。
彼はエルサレムを去る際、ゴルゴタの丘の土をひとつかみ持ち帰り、
セドレツ修道院の墓地に振りまいた。

誰もが聖地の土がまかれた墓地で眠りたいと考え、ここで埋葬されることを望んだそうだ。
14世紀のペスト、15世紀のフス戦争で亡くなった者も埋葬されている。

墓地の規模縮小により、廃止される埋葬地にあった遺骨のために納骨堂の建設が着手され、
廃止された墓地から遺骨を納骨堂に移す作業が行われた。
1511年ごろから、半盲の修道士が遺骨を納骨堂に運び、ピラミッド型に積み上げた。

その後、前述したヨゼフ2世の修道院廃止令で修道院が廃止され、
シュワルツェンベルグ家が修道院資産を買い取り、
納骨堂内の遺骨でインテリアを造らせた。
これが現在の内装である。
IMG_3847.jpg
シャンデリア。

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天井装飾。

IMG_3848.jpg
シュワルツェンベルグ家の紋章。

IMG_3849.jpg
トルコ人の頭をカラスが突くというデザインが含まれている。

IMG_3851.jpg
使われた遺骨の数は約40000体だそうだ。

皆さんはこう思うかもしれない。
「遺骨をインテリアにするなんて、インテリアになった人が可哀そうだ。」と。

でも、彼らは全聖人教会の納骨堂に埋葬されているのだ。
神に一番近い、教会の中に埋葬されているのだ。
「自分たちはなんて幸せなんだ。」
と思っているのかもしれない。

感性の違いである。


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00:01  |  ボヘミア地方  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

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