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2012.08.11 (Sat)

スラブ叙事詩 8

グルンヴァルドの戦いのあと

IMG_3550.jpg
1924年 テンペラ絵具と油絵具 405cm x 610cm

スラブ叙事詩でポーランドのテーマとしてムハはグルンヴァルドの戦いが選ばれました。
北方スラブの同盟を表現しています。

1410年7月15日ポーランドのグルンヴァルドでポーランド・リトアニア連合軍と、
チュートン騎士団(ドイツ騎士団)との戦いが起こりました。
タンネンベルクの戦いとも紹介されています。

チュートン騎士団の起源は十字軍です。
後に北方へ移動しバルト海流域に定住し始めました。
北方の異教徒をキリスト教化するの主な目的だったのです。
しかし、隣国がすでにキリスト教国となったにもかかわらず、
領地を脅かすようになっていきました。
そのおもな国は現ポーランドとリトアニアでした。

元リトアニア皇子でポーランド王妃ヤドビカと結婚する事によってポーランド王になった、
ヴラディスラフ・ヤギェロと甥のリトアニア大公ヴィータウタスが立ち上がり、
グルンヴァルドでの戦いでチュートン騎士団に壊滅的なダメージを与えました。
ボヘミアとモラヴィアからは傭兵がそれぞれの思惑で参戦しています。

ムハはチュートン騎士団に勝利したポーランド、リトアニアの兵を全面に、
それに沿うようにロシア兵を並べ、北方スラブの同盟を思い描いています。
写真 12-10-28 16 39 11

しかし、ムハはスラブ同盟の記念すべき勝利を称賛するようには描いていません。
逆に勝者の虚しさ、人生のはかなかさ、戦争の無益さを物語っているのです。

血戦の翌朝、戦場には戦死した兵士の亡骸が横たわっています。
黒十字のある白いマントは騎士団のマントです。

丘の上にヴラディスラフ・ヤギェロが立ち、もの悲しい表情で見下ろし、
彼の背後に参戦したスラブ同盟の兵士たちが立ち並んでいます。

ムハは絵の左手にチェコの英雄、隻眼のヤン・ジシカを描きました。
ジシカはこの血戦に参加していたであろうと信じられており、
後のフス派の軍隊を率いることとなる男です。

1410年の戦いのだいぶ後、ムハがスラブ叙事詩を描いている最中の1914年、
ロシアが兵力の劣るドイツ軍に大敗した戦争が起こりました。
その戦いもタンネンベルクの戦いです。

歴史って…繰り返すものなのでしょうか。

つづく
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