2012.08.14 (Tue)

スラブ叙事詩 11

ヴィートゥコフの丘の戦いのあと

IMG_3553.jpg
1923年 テンペラ絵具と油絵具 405cm x 480cm

1419年8月にチェコ王ヴァーツラフ4世が世継ぎがなく亡くなりました。
後継者には異母弟のジクムンドしかいませんでした。
彼は1410年からすでに神聖ローマ帝国皇帝の座に就いています。

チェコ国民はジクムンドのチェコ王戴冠を拒絶しました。
なぜならヤン・フスが処刑されたのはジクムンドのせいと考えていたからです。
ジクムンドはコンスタンツ公会議の際、ヤン・フスに身の安全を保証していました。
それにも関わらずヤン・フスは捕えられ焚刑に処されたのです。
拒絶する気持ちは分かりますよね。

しかしカトリックの権威を保持したい教会組織はジクムンドを支持します。
ジクムンドはローマ教皇と共にチェコ異端者討伐のため十字軍を派遣しました。

チェコの王がチェコを鎮静すべく十字軍を要請したのです。

十字軍は順調にプラハを占拠していきましたが、
1420年7月14日にヴィートゥコフ(現ジシコフ)の丘で、
トロツノフ出身のヤン・ジシカ率いる軍隊に敗れてしまいました。
フス派にしたら思ってもいない勝利だったのです。

ムハは戦い直後の情景で、予期せぬ勝利への感謝の礼拝の様子を描きました。
戦争を好まなかったムハは、直接的に戦いの場面を描いていません。
写真 12-10-28 16 37 52
絵の中央で聖像をかかげる司祭を前に他の司祭がひれ伏しています。

右手には黄昏の中、選ばれし者のごとく光を受けるヤン・ジシカが立っています。
ちなみにヤン・ジシカはスラブ叙事詩に4回も登場するのです。
グルンヴァルドの戦い、ベツレヘム礼拝堂、この絵、最後の絵です。
写真 12-10-28 16 38 10

全体像としては神への感謝がテーマなのですが、
この絵の左下に感謝の礼拝に参加していない一人の女性がいます。
写真 12-10-28 16 38 00

彼女は陰鬱な面持ちで、今後、泥沼状態に陥るであろう戦争によって、
自分の子供たちが命を落とすであろうことを感じ取っているのです。

つづく
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08:53  |  アルフォンス・ムハ スラブ叙事詩  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

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