FC2ブログ

2012.08.14 (Tue)

スラブ叙事詩12

ペテル・ヘルチツキー

IMG_3554.jpg
1918年 テンペラ絵具と油絵具 405cm x 610cm

ムハはスラブ叙事詩の中に、道義を共にする同志結束の教示という作品を3枚作製しました。
まず結束の先駆者でイデオロギーの父と呼ばれたペテル・ヘルチツキー、
次にイヴァンチツェの同志学校の発展(15で紹介)、
そしてヤン・アモス・コメンスキー(16で紹介)です。

ムハは、ある事に興味をそそられています。
それは、「妥協をしない急進的な政治思想を持つ者は、
平和主義や対立するあらゆる事物を拒絶する。」ということです。

ムハはその事について、フス戦争中にお起こったヘルリツキーの行動で描写しています。

そもそも一つのフス派は、思想の違いから、
急進的なターボル派と穏健的なウトラキスト派に分裂してしまいました。

ターボル派は主に農民、低位聖職者からなり、
ウトラキスト派は市民、主にプラハ市民から構成されており、
ターボル派は教会組織を良しとせず、あくまでも聖書の教えに沿ったキリスト教を信仰し、
ウトラキスト派は二種聖体拝領の主張が通ればカトリック教会と共存も良しとしました。

急進派にしてみればウトラキスト派はカトリック教会に身をゆだねた弱腰で、
逆を見ればターボル派は世の動きが見えない分からず屋だったのです。

よってターボル派とウクラクスト派は もとは同朋なのにも関わらず対立してしまったのです。

1420年、ターボル派の同朋が殺されたことを理由に、
ヴォドゥニャニの町を侵略し、略奪し、焼き払ってしまいました。
写真 12-10-28 16 40 46

おびえた住民は近所のヘルチツェ村に逃げ込み、
負傷者、亡くなった遺体もそこへ運び入れます。

絵の中央では生き残り、復讐を誓った若者が高々と手を挙げています。
その若者の手を取っているのがペテル・ヘルチツキーです。
ヘルチツキーは当時有名な思想家で、
常にどんなイデオロギーの流れにも参加する事もせず、
本当はフス派の運動に興味を持っていたのですが、
その運動が戦争や殺戮に結び付くと考え、フス派への参加を断っていました。
写真 12-10-28 16 40 53

ヘルチツキーは悪行は悪行によって報いられない事を、
そのような方法では何も解決しない事を若者に諭しているのです。

この思想が後に設立されるチェコ兄弟団に引き継がれました。

つづく
関連記事
スポンサーサイト



メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
14:49  |  アルフォンス・ムハ スラブ叙事詩  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

*Comment

コメントを投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

*Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://gambrinus.blog45.fc2.com/tb.php/266-90d198f5

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |