2013.08.10 (Sat)

Vysoká u přibrami ドボルザーク最後の20年

Vysoká u přibrami
ヴィソカー ウ プシブラミ。

最後のプシブラミのカタカナ読みは正確ではないけれど、
そう読んで頂くしかカタカナ表現しようがない。
だからそう読んでくだされ。

ヴィソカー ウ プシブラミは、
プラハから南南西約50kmの所にある小さな村だ。

19世紀、この地一帯の領主はヴァーツラフ・カウニツ伯爵だった。

ヴァーツラフ・カウニツの奥さんはジョゼフィーナ・チェルマーコヴァで、
ジョゼフィーナ・チェルマーコヴァの妹はアンナ・チェルマーコヴァで、
アンナ・チェルマーコヴァの旦那はアントニーン・ドゥヴォジャークである。

アントニーン・ドゥヴォジャーク。
かの有名なチェコ代表する偉大な作曲家だ。

1878年、カウニツはこの領地内に屋敷と庭園を造った。
ドゥヴォジャークもその屋敷に足を運んでいる。
1884年、ドゥヴォジャークがイングランドで大成功を収めた後、
カウニツより土地を購入し、生活用の家を建てた。
その家の名は「ルサルカ」と言い、
彼の晩年までの生活の地となっている。


このルサルカで暮らしながら、近所を散歩しながら、
いくつもの名曲を産み出しているのだ。

記念碑がある。


1884年から1903年、ここ、ヴィソカーで生活し作曲した。

何を作曲したのか?
主な曲名が記念碑に記されている。


スラブ舞曲。


自然の中で。
オセロ。
フス教徒。
そして、レクイエム。


シンフォニー。
ルサルカ。
悪魔とカーチャ。
ヤコビン。


ユモレスク。


敷地には入れなかったが、運が良ければ開いているそうだ。

ルサルカは閉まっていたけれど、
義兄カウニツ伯爵が建てた屋敷は、
現在、ドゥヴォジャーク記念館となっている。


門を抜け敷地に入り、並木道を進む。


並木道の先に屋敷が見えてくるが、屋敷よりも先に、
そばに設置されている記念碑に足が向かってしまう。


その屋敷。
ネオルネサンススタイルの瀟洒な建物である。


マクス・シュヴァビンスキ―が描いたドゥヴォジャークの肖像画。


その絵のある部屋。


その部屋の天井は板張りかと思いきや、
板張りのように描かれた絵だったのが面白い。


カウニツ夫人ジョゼフィーナの寝室。


仲間たちの写真。
一番下の三枚がカウニツ伯爵。


中央がドゥヴォジャーク。

いつ見ても犬のチンみたいだ。

屋敷を出る。


屋敷周辺、この近辺はドゥヴォジャークの散歩コースだった。
散歩しながら曲作りのヒント、ひらめきを得ていたのである。


屋敷から400mほどの場所にある小さな湖。
ここはオペラ「ルサルカ」のインスピレーションを与えた場所だ。


ルサルチーノ・イェジールコ。


どうだい?

ぼくの曲をもっともっと聴きたくなっただろ?
「新世界」だけじゃないんだぜ。
オペラはあまり成功しなかったが、ルサルカは良かったと思う。
「王様と炭焼き」なんて最悪だったよ…。

でも、聴きたくなっただろ?
ドゥヴォジャークの旋律を…。



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23:50  |  チェコ町歩き  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

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