2014.01.24 (Fri)

ロケット

プラハより北西約140km。
湾曲して流れるオフジェ川に囲まれた崖の上に12世紀に砦が建てられた。

14世紀の初め、後の皇帝カレル4世がまだ幼少期でヴァーツラフと名乗っていた頃、
父のヤン・ルクセンブルグの命によってこの城に幽閉された歴史を持つ。
カレルは皇帝になった後、この城を狩猟の休憩所としても使っていたようだ。

その後、川の流れに沿って城壁が築かれ、
石工の家なども建ち始め、町へと発展していった。

この町の名前はLoket、ロケットと言う。
ロケットとは日本語に訳すと肘だ。
オフジェ川があたかも肘が曲がった腕のように流れていることに由来している。
IMG_3494.jpg

町の歴史地区には写真のような町を上空から見たイラスト版地図が設置されている。
確かに川はぐるりと弧を描くように流れていることが分かる。
そして町の真ん中をT・G・マサリク通りも肘を曲げた腕のように走っているのだ。
ちなみにこの町の紋章は肘を曲げた左腕が剣を持っているデザインである。
IMG_3495.jpg

そのT・G・マサリク通り。
通り沿いには白馬亭と言うホテルがある。
ここはドイツの文豪ゲーテが好きな場所だったことで知られている。
好んだ理由、そう、ある女性と会うため。
IMG_3496.jpg

1821年、ゲーテは温泉保養地のマリアンスケー・ラーズニェに出掛けた。
ロケットからは35kmほど南に位置する。
そこで出会ったウルリケという名の女性に一目惚れし、
ゲーテは恋に落ちてしまった。

当時ゲーテは72歳。
そしてゲーテが一目惚れをした相手のウルリケは、なんと17歳だった。
ゲーテは恋多き男ではあったが、72歳で17歳の女性を好きになるなんて…
すごい。
もしくは大うつけだ。
でもその後、何度か彼女と白馬亭に出掛けているのだ。


そして更にすごいのか…
それとも大うつけなのか…
知り合った2年後の1823年、
ゲーテはウルリケにプロポーズをしたのである。
さすがにウルリケはそのプロポーズを断った。


悲嘆にくれるゲーテ。
この失恋でゲーテは「マリエンバードの悲歌」なる詩を書いている。
マリエンバードはマリアンスケー・ラーズニェのドイツ語読み。
そしてゲーテはもうあまりチェコに足を踏み入れることはなく、
1832年3月22日にドイツのワイマールで永眠。
享年82歳と7か月。


一方ウルリケは…
彼女の心の中には常にゲーテがいたのだろうか…
生涯未婚で過ごし、1899年11月13日永眠。
享年95歳。

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00:09  |  ボヘミア地方  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

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