2014.02.04 (Tue)

伊太利亜へ行こう 8

〈ローマ:フォロ ロマーノ地域〉

地下鉄B線コロッセオ駅で降りて地上に出ると、
目の前に威風堂々と構えるコロッセオが現れ「うおぉー」となり、
さらにそこに広がる2000年前の遺構に目が釘付けとなる。
あれは感動する。


しかし、私はトレビの泉やナボーナ広場の方から、
ヴェネチア広場へ向け迷路のような路地を歩いて行き、
目の前の開けた場所に広がる2000年前の遺構を見て、
「うおぉー」となる方が好きだ。


そこに広がる2000年前の遺構は興味がなければ単なる空き地、
石ころがゴロゴロ転がっているにすぎない。


だが心の目で見てみよう。


そして想像してみよう。


2000年もの昔、ここに壮大な建物があり、
ローマ人が集い、談笑していたという事を。


ローマは紀元前753年ロムルスによって建国されたと言われている。
パラティーノの丘に住んでいたようだ。


当時、この遺構のある場所は丘を流れる小川が合流するポイント、
更にテヴェレ川の増水で湿地状態だった。
故に人の集う場所ではなかったのだ。


紀元前6世紀、タルキヌス王の時代にウェラブルム川を造り湿地の排水を行った。
クロアカ・マキシマ(大下水溝)と呼ばれる排水システムが整ったのだ。
紀元前6世紀というのがすごい。


そしてここはローマの中心になったのだ。
フォロ・ロマーノである。
紀元前1世紀、ユリウス・カエサルはこの地の北西側を自費で整備し直した。
カエサルのフォルムと呼ばれている。
それに続き隣接するようにアウグストゥス、ネルヴァ、
トライヤヌスも市民の憩いの場とすべくフォルムを建設していく。
もちろん自費だ。


ティトゥスがユダヤ戦役で勝利しローマに凱旋帰国するとパレードが行われ、
市民は歓喜の声をあげて出迎えた。
その後、ティトゥスの死後ではあるがそれを祝し凱旋門が作られ、


凱旋する四頭立ての馬車上の皇帝や、


エピソードなどを彫り、皇帝を讃えた。


ドミティアヌスはスタジアムを造り、市民を熱狂させたりもしていた。


西ローマ帝国滅亡後は風雨にさらされ、土砂で埋まり、
地上に出ていた建物はルネサンス期には破壊された。
ローマ時代の建物の石を建築材として使用するためである。
石柱をロープで引き倒そうとしたであろうと思われる傷跡が残る柱もあるのだ。


しかしなんだな~、幅が広すぎて詳しく紹介はできないなあ~。
まだまだ勉強不足だ。
より詳しい話を知りたい方はまず、塩野先生の著書をお読みくだされ。


まだ私は文庫版で43巻あるうち24巻までしか読んでいないけれど、
文中に登場する物が仮に遺構であっても目の前にある。
心の目を開けば何となく見えてくる…ような気がする。


するとヴェネチア広場のあたりから見えてくるこの遺構の姿は、
そこまで歩いていたローマの建物群とはがらりと趣が変わり、
「うおぉー」っと感嘆の声をあげてしまうのだ。


あっ、そうそう、カピトリーノの丘の上から眺めるのもよし。

いずれにせよ読破したらまた来ようと思った。
いや、また来るぞと固い決心を持った。

フォロ・ロマーノ
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