2014.02.07 (Fri)

伊太利亜へ行こう 11

〈ローマ:ロマンチック街道)

すべての道はローマに続く。

ローマ人はインフラ整備が大の得意だったそうだ。
陣営地、防壁、橋、高速道路etc
ローマ人の手にかかればお茶の子さいさいであった。
特に高速道路の整備には力を入れていた。
行軍、物資輸送、そして情報を迅速にすべく!
という点に重きを置いていたのだ。
戦時、敵地に進軍する際も、ローマ軍のスムーズな行軍のため、
さらには後方部隊からの物資輸送を円滑にするため、
森を切り開き、崖は削り落とし、川には橋をかけ、
極力平坦かつ直線の高速道路を建設している。
仮に敗戦したら敵軍が高速道路を利用して、
帝国の首都ローマまで進軍してくる恐れがあるにも拘らず。

さらに敵地での高度な技術を伴ったインフラ整備は、
敵地の住民にローマの力を示すことにもなり、
戦わずして降伏する部族もあったそうである。

高速道路はローマ街道と呼ばれ、
主にその街道を手掛けた人物の名が付いた。
アッピウスが手掛けたらアッピア街道、
フラミニウスだったらフラミニア街道、
アウレリウスだったらアウレリア街道、

でもこんな名もある。
サラリア街道。
塩を運ぶのでサラリア街道なのだ。
話はそれるが、塩は昔給金として支払われていた時代があった。
お給料は英語でサラリー。
ねっ…分かるでしょ…語源が。

中でもアッピア街道は街道の女王と呼ばれ、
ローマから南東に進み、アドリア海沿いのブリンディシが終点となる。
終点ブリンディシは以前紹介した。
私は街道の女王アッピア街道の始点を見たかったので、
今回のローマ訪問では必ず行くと決めていたのだ。

カラカラ浴場から少し南東へ歩くと分岐点がある。
左へ進むとラティーナ街道、右に進むとサン・セヴァスティアーノ門へ続く。
サン・セヴァスティアーノ門がアッピア街道の始点なのである。


カラカラ浴場からは600mぐらいか。
サン・セヴァスティアーノ門のすぐそばにそれよりも古い門が構えていた。


そしてこの門がサン・セヴァスティアーノ門だ。


門外に出てローマを見る。
今は街道を走る車が絶えない。


街道の始点まで来れば満足だったのだけれど、
ついつい歩き始めてしまった。
門からまず600m。
ドミネ・クォ・ヴァディス教会。


ここにはキリストの足跡があるのだ。
マジか…。


さらに歩いてしまった。


門から2400m。
チェチーリア・メッテラの墓。
チョチョリーナではない。


ここはカラカラ浴場の入場券に含まれている見学ポイントである。
ネロ時代の銅貨。


西暦64年、ローマで大火事が発生した。
当時の皇帝ネロは「火事を起こしたのはキリスト教徒だ。」として、
多くのキリスト教徒が迫害された。
その迫害から逃れようとしたペテロがローマから逃げ街道を歩いていると、
なんとローマへ向かうキリストとであった。
ペテロがキリストにどこに向かうのか尋ねると、キリストはこう答えた。
「十字架に架けられにローマへ。」
ペテロは自らの行動を恥じ、ローマへ戻り殉教したそうな。
その伝説の場所に先述の教会が建てられ、だからあそこに足跡があるんだとか。

アッピア街道はまだまだ続くが、ここで引き返した。


往復約5km。
良い運動だった。
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