2014.05.06 (Tue)

みつこ 外国で暮らす日本人女性に捧ぐ

プラハから西へ約150km。
もうドイツの国境に近いのどかな農村地帯にポベジョヴィツェがある。
確か2004年ごろと記憶しているが一度来ている。


この小さな町ポベジョヴィツェは、その昔、
ドイツ語名でロンスペルクと呼ばれていた。


この小さな町の小さな城に日本人女性が生活していたのをご存じであろうか?

時は19世紀終わり、オーストリア・ハンガリー二重帝国の貴族、
外交官でもあったハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーは、
大使館の参事官として東京で勤務していた。

1892年、ハインリヒは骨董品屋の娘、18歳のみつに惚れてしまう。
その縁もあり、みつは大使公邸の小間使いとして働き始めた。

そして、1893年周囲の反対を押し切りハインリヒとみつは結婚をしたのだ。
日本初の正式な国際結婚であったろう。
1895年、すでに2児の母でもあったみつは渡欧。
ロンスペルクでの生活が始まった。
苦労、苦悩も多く、大変な生活であったろうが、
そこでさらに5人の子をもうけた。


中でも、次男のリヒャルドは「汎ヨーロッパ」を著し有名だ。
欧州統一の、いわばヨーロッパ連合の先駆けとなった思想である。


そして、彼女の名前はみつよりもこちらのほうが知られているかもしれない。
青山光子。
クーデンホーフ・青山光子。


渡欧の際、明治天皇の皇后美子から激励を受けているし、
時のハプスブルグ皇帝フランツ・ヨーゼフとも会話をしている。

彼女が生活をしていたロンスペルク城は少しばかりは修復されているが、
残念なことにボロボロである。


ポベジョヴィツェから東へ13kmほど行くと、
ホルショフスキー・ティーンという町がある。


ここにはスグラフィトで装飾された城が建っている。


城では3つのコースで観光ができる。


そのうちのひとつのコース名はMitsukoだ。


たった3部屋だけだけれど、光子に関連する物が展示されている。


光子は1941年ウィーンで亡くなり、ウィーンに埋葬されているが、
彼女がチェコで生活をしていた事実を紹介しておきたかった。


詳しくはこれらの本を読まれたし。


やはり日本人女性は強い。
私はそんな日本人女性が好きだ。
「外国で暮らす日本人女性たちよ、頑張れ!」
って偉そうなこと言ってると、逆に、
「お前のほうが頑張れ!ば~か。」と言われそうだな…。
関連記事
スポンサーサイト
メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
21:08  |  ボヘミア地方  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  編集  |  Top↑

*Comment

■クーデンホーフ光子さんについて

私も彼女の素晴らしい一生に大変興味をもち、ウイーンに住んでいた1998年に本を読みました!!NHKで彼女の一生をドラマにして放映していたと記憶していますが・・・・。光子役は吉永小百合さんではなかったでしょうか??
クラウザー章子 |  2014.05.07(水) 05:16 |  URL |  【コメント編集】

■Re: クーデンホーフ光子さんについて

小百合さんでした。
そのドラマを見たかったです。
細矢 |  2014.05.07(水) 20:21 |  URL |  【コメント編集】

コメントを投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

*Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://gambrinus.blog45.fc2.com/tb.php/621-f0938b38

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |