2014.06.21 (Sat)

プラハを探す 21.6.1621

今回のネタは日本人会会報が先行しました。
恥ずかしながらわたくし、月刊の日本人会WEB会報に雑文を投稿しているのです。
ブログ版では多少手を加えたけれど、6月号にはこんなネタを書いたのでした。

〈21・6・1621〉
異教はまだ良い。
異端はより悪い。

キリスト教徒にとって、キリスト教を知らない者にキリストの教えを浸透させるのは易しく、
また、その教えを理解しない、あるいは、できない者は可哀想な人なのだそうだ。
しかし、キリスト教を知っているにも拘らず、
違う教理で理解している者に対しては、対応が変わってくる。
違う教理の信仰なんて許せない!
だから力尽くでも目覚めさせなければならない!となる。
これは自称正統派キリスト教カトリックの言い分だ。

キリストは神ではないから神よりもワンランク下だ!とか、
いやいや、神もその子イエスも聖霊も共に一体なんだ!とか、
パンとワインの両方を拝領すべきだ!とか、
パンだけの拝領で十分だ!とか・・・、
キリスト教ではない私にはどうでも良い話だけれど、
当人たちにはそうではなく、とっても重要な事なのだそうだ。

さて、1526年からチェコはハプスブルク家の統治下に入った。
ハプスブルク家がボヘミア王になった訳だ。
ハプスブルク家はバリバリのカトリック信仰者である。
当時、チェコにはカトリックではない教理を信仰する者が多かった。
しかし支配者はカトリックだ。
当然、カトリック優遇策はあっただろうし、信仰の自由は認められなくなってくる。
カトリックでない者たち、カルヴァン派、ルター派、フス派の精神を汲む者たち、
これらをプロテスタントと呼ぼうか、彼らはカトリックに対する反感が募る。

1618年5月23日、ついに怒りが爆発した。
プロテスタントのチェコ貴族はプラハ城内のチェコ事務所に押し掛けた。


そしてこの部屋で仕事をしていた王国知事のヴィレーム・スラヴァタとヤロスラフ・ボジタ・マルティンツ、
そして書記官のフィリップ・ファブリクスの三人を捕らえ、担ぎあげ、窓辺に向かった。


そして、なんと窓から投げ落としてしまったのだ。


この事件がもとで戦争が勃発する。
30年続いたから30年戦争と呼ばれるようになった宗教戦争である。

ちなみに投げ落とされた者たちは運良く助かった。


「天使が救ってくれた。」とカトリックは語っている。

30年戦争は文字通り30年かかっているが、チェコでは投げ落とし事件の2年後で終わった。
1620年11月8日日曜日、プラハの西方ビーラー・ホラで蜂起軍と国王軍が対峙した。
ビーラー・ホラの戦いである。


蜂起軍は21000人、国王軍は28000人ほど。


この戦いは2時間もかからずに国王軍が圧勝した。
つまりカトリックが勝利したわけだ。


その結果、チェコでのさらなるカトリック化が強化されたのだ。
カトリックに改宗すれば罪は免れたが、
チェコのアイデンティティを強く持っている者はプロテスタントが多かったため、
「カトリックに改宗するぐらいなら国を捨てる。」と国外逃亡。

戦いに参加した有力者27名は1621年6月21日プラハ旧市街広場で処刑された。
処刑は一般公開で朝5時から9時までに執行され、
しかも、処刑された27名のうち代表格12名の首は見せしめとして、
カレル橋の旧市街塔に吊らされたのだ。

旧市街広場に建つ市庁舎の壁には処刑された27名のリストが設置されている。
IMAG0308.jpg

そして彼らを偲ぶべく、石畳には21.VI.1612と27個の十字架がデザインされている。


393年前の今日の出来事。
関連記事
スポンサーサイト
メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
15:41  |  プラハを探す  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

*Comment

コメントを投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

*Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://gambrinus.blog45.fc2.com/tb.php/628-7ac130a1

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |