2014.07.04 (Fri)

ベルリンの壁

あれは確か高校3年の晩秋、朝刊の見出しを見て驚き、心が震えた。

「ベルリンの壁崩壊」

壁の上に男たちが立ち、ハンマーかツルハシのような物で壁を破壊している写真が掲載されていた。

今の若い世代には東西冷戦と言ってもよくわからないだろうな。
でも私が子どものころなんて、メディアでは西が正義で東は悪というイメージで情報発信してたんだ。

その東西冷戦の象徴がベルリンの壁だったんだ。

第二次世界大戦後、敗戦国ドイツの首都ベルリンは、
連合国でもあった米・英・仏・ソ連によって分割統治された。


その後すぐに東西冷戦の時代が来る。
しかし、1950年代はまだ東西ベルリンを行き来して仕事に出掛ける者もいたのだ。
要するに、東西ベルリン間はある程度自由に往来が可能だったのだ。


もちろん東西ベルリン、及び東ドイツと西ベルリンには国境検問所があったので、
そこでのチェックを受けることは必至であったのだが・・・。
検問所の例をあげると、チェックポイントA・B・Cがある。
それぞれアルファ、ブラヴォー、チャーリーの名で呼ばれていた。
チェックポイント・チャーリーの名は聞いたことがある人もいるかもしれない。


しかし比較的自由に東西ベルリンを移動できることから、
東ドイツの国民が西ベルリンを経由して西ドイツに流出し始める。
それには困った東ドイツは、自国を守るべく?、東西の交通網を遮断するため、
西ベルリンをぐるり囲む壁を作ったのだ。
これがベルリンの壁である。


1961年8月13日夜中24時に東西を結ぶ道路網が遮断され、
朝6時にはほぼ通行不可能となった。
初めは有刺鉄線で、その後、石の壁になった。
何度となく作り変えられた壁は1975年に完成し、総延長は約155kmにも及ぶ。
直線距離で言ったらプラハからドレスデンまで、東京から鬼怒川、由比、
神戸から城崎温泉マリーナまでになるんだ。
そうとうな距離であることが分かる。


その冷戦の象徴たる壁が、1989年11月10日に破壊された。
東西冷戦の終結である。
負の象徴である壁はほとんど破壊されたが、文化財保存の声が高まり、
シュプレー川沿いに1.3kmほどの長さの壁が残った。
そこは1990年に様々なテーマの絵が描かれ、
イーストサイドギャラリーとして知られている。


ベルリンの壁
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