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2015.02.13 (Fri)

TUGENDHAT トゥーゲンハット邸

20世紀初め、この地は大変貌を遂げた。
この地とはブルノ。
大きな村と呼ばれた小さな街だ。
旧市街は変わらずだったが、街が拡張され、
新しい住宅、学校、施設が次々と建ち始めた。

その時代の流れに乗ってか、ブルノを一望できる丘の上の土地を、
実業家のLow-beerが娘グレーテにに贈呈した。
婚約者でもあるフリッツ・トゥーゲンハットと住む家を建てるためである。
グレーテとフリッツの二人はミース・ファン・デル・ローエに設計を依頼し、
1928年から1930年にかけてモダン建築の住宅が建てられた。
ミース・ファン・デル・ローエはバウハウスの学長を務め、
3大現代建築、あるいは4大現代建築家に入っている男だ。


その住宅は2001年にUNESCO世界遺産に登録されている。


住宅は依頼主の名をとりこう呼ばれている。
トゥーゲンハット邸。

シンプル、機能的、広い空間を重視して設計された。
建築材も欧州のみならず、アジア、南米、アフリカから取り寄せられている。
インテリア、電気の差込口に至るまでローエがデザインしているのだ。

完成後、トゥーゲンハット一家は実際生活をしていたが、
彼らはブルノを去らねばならなくなった。
1938年5月である。
時は、オーストリアがドイツに併合され、ミュンヘン協定の4か月前の事だ。
チェコスロバキアの未来もどうなるか分からず混沌としていたのだ。
トゥーゲンハット氏は彼らが持つドイツでの情報網のおかげで情報収集し、
状況次第では一家の死は免れないと考え、国外退去の道を選んだ。
そう、彼らはユダヤ人一家だったのだ。

フリッツを除く一家はスイスに逃れた。
ブルノに残ったフリッツは個人所有物や家具の輸送手続きを済ませた後スイスへ、
しかし、スイスでも安全ではないと考え、1941年にベネズエラのカラカスへ移った。

WWⅡはドイツ兵が使用、1945年赤軍の解放の際は兵隊が使い、建物はかなり雑に使われた。
また、付近での爆撃の影響で被害を受け、自慢の窓も破壊されてしまった。
1945年から1950年の5年間はダンス&リズム学校の校舎として、
1950年からは国有化され、脊髄障害を持つ子供のためのリハビリセンターとして使われた。

1960年代に入ってから建物保護の気運が高まり、
1963年に文化財に指定される。
以降修復が行われるが、当時の建築材を集めることもできず、形だけの修復となっていた。

1992年8月、ここでチェコスロバキア分離独立のための調印式が行われたのは有名な話だ。

2000年に入ってからも修復はされていると言っていたが、遅々として進まずにいた。
私が初めて見学したのは2009年だっただろうか。
まだ修復されていない所もあった事を覚えている。

2010年から2012年にかけて大修復が行われた。
建設当初の資料をもとに、インテリア、エクステリア両方ともに、
オリジナルで残せるものは残し、無いものは全く同じ建築材を集め、
設備も再現し、当時の姿の邸宅に戻し、2012年から完全に見学が再開された。

と、トゥーゲンハット邸についての基本情報をざっと且つだらだらと書いたわけだ。


先日、ここを見に行った。
ただ単に気が向いただけだ。
しかし、わざわざ行って予約一杯で入場できないのは癪にさわるから予めWEBで入場予約をしておいた。
もし出掛ける予定のある方は予め予約をしておく事をお薦めする。
英語、ドイツ語、フランス語、チェコ語とあり、それぞれ時間設定がされている。
時間が制約されるから、よっぽど言語に堪能でない限り、どの言語で入場しても同じだろう。
だって、よく聞き取れないし、なに言ってるか分からないんだもの。
それでも、せめて、多少なりとも…と考えているならば、
英語での観光にして分かる単語をつなぎ合わせていけば良い。
コースは300コルナのコースと350コルナのコースがあるが、
できれば350コルナのコースを見た方が良い。
ほとんどの訪問客は350コルナのコースを見学している。
そして室内の撮影は有料だ。
なんと300コルナ!
でも仕方がない。
修復にだいぶ費用がかかっているんだ。
現地のガイドさんは確か200ミリオンユーロって言ってたもんな。

まず、テラスで案内を聞いた後に、玄関へ移動。
そこでこの機械に足を乗せるよう指示される。


足を乗せ、踏みつける。


すると、ソールラップで包まれた。


床を汚さないためである。
玄関の床はイタリア大理石だ。
ちなみにソールラップだけでなく靴下式靴カバーもあります。


部屋を見て行く。


子供部屋だ。
壁、天井、床、家具の色を統一し、より広く感じるようデザインされている。


子供部屋の窓も大きく、ブルノの旧市街地区が一望できるのだ。


アフリカ産のゼブラと呼ばれている木材。


クローゼットと思っていたが、中はなんと洗面台だった。


ひとつ下のフロアにメインホールがある。


部屋を仕切ることなくひとつのスペースに書斎、リビング、が配置されている。


そしてそれぞれのパートに趣向が施されているのだ。


温室もある。


床に埋め込まれたプラグ差込口。
こういう細かな所までローエのデザインだ。


中でもリビングあたるパートが一番広く大きな窓がはめられ部屋をより明るくしているのだ。
当時では超新しい設計だったのである。


バルセロナと呼ばれている椅子。
これ一脚6000ドルと言っていたっけ。


オニックスの衝立の後ろが書斎だ。


インドネシアのマカッサル産の黒檀を使った円卓。
この円卓は切り離し可能である。


ふたつの上へボタンと、ふたつの下へボタン。


キッチン。


盛りつけの間にあったエレベーター。
食事を運ぶのか?


その下のフロアー同じスペース。


エレベーターの通路。


空調設備のスウィッチ。
フレッシュエア-、循環、冷気とある。
冷房完備だったのだ。


空気貯蔵室に取り入れた外気の汚れをこのフィルターを通して取り除く。


そのフィルターされたエアーがこの木片を抜けると木の良い匂いを蓄える。


そのエアーが温められる。


送風機から各部屋に送られる。
暖房も完備していたのだ。


2本のチェーンが付いた機械もあった。


先ほどの上へ、下へのボタンを押すとこのチェーンが動き出す。


チェーンが稼働するとこの窓が開閉する。
下へボタンを押すと窓が降り、上へボタンを押すと窓が上がる。
ガイドさん曰く、窓は重さ600kg。


もしあなたもリフォームするならこんな家はいかがですか?
80年ほど前の設計だけど…。


トゥーゲンハット邸。
http://www.tugendhat.eu/


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