2015.04.06 (Mon)

プラハの印

一時帰国からプラハに戻ってきてからぼちぼち1週間経つのだけれど、
プラハ熱、チェコ熱、さらにはヨーロッパ熱が高まらない。
寒いからなのかもしれないけれど、「街を歩いて新たな発見を!」と言う気分が出ない。
イースターのお祭りで市場も出ているけれど、どこかに出掛けようと言う気にならない。
だから、初心に帰って昔のノートを見直してプラハ熱をまた高めていこうとしている。
昔のノートを見ると、字が汚すぎて何を書いているのか分からない所もあるけれど、
よくもまあ・・・我ながら感心する。


プラハは496k㎡でユネスコ世界遺産に指定されている区域は8.66k㎡。
ちなみに日本のおもな都市はこうなっている。
東京の中央区が10.18k㎡
横浜の西区が7.04k㎡
名古屋の中区が9.38k㎡
京都の中京区が7.38k㎡
大阪の中央区が8.88k㎡
福岡の中央区が15.16k㎡

プラハの標高は平均で235mで弘法山や高根山や気仙沼の亀山が同じ高さになっている。
プラハ市内を流れるヴルタヴァ川は31kmあり、川幅の最も広い所は330m。
なるほどなるほどと読み返している。

ちなみにプラハの歴史地区、フラッチャニ、小地区、旧市街、新市街には、
もともとそれぞれの地区に自治があり、各地区で紋章を持っていた。
1784年になってやっと4つの地区が統一されて王家の首都プラハと相成り、
旧市街の紋章がプラハ市の紋章として使われるようになったのである。
だからその地区に行けば統一前に使用していた各紋章を見つけることができる。

プラハ城の西側に位置するフラッチャニは1本の塔。


プラハ城の南に位置する小地区は5本の塔。


新市街は2本の塔。


中心も中心の旧市街は3本の塔だ。


旧市街の紋章には2タイプのデザインがある。
塔の下にある門に剣を持った兵士の腕があるかないかだ。


14世紀には銀色の3本の塔と門のある城壁のデザインで紋章が造られ、
15世紀に入り塔と城壁が金色に変えられた。
当時は剣を持つ兵士の腕は無かったのだが、1649年30年戦争終結の際、
プラハ旧市街は死守され、その時から剣を持つ兵士が門に描かれるようになった。

プラハ市民は言う。
あなたがプラハに相応しければ開門の紋章でお出迎えしてくれますが、
もし相応しくなければ、剣を持った兵士があなたを待ちうけていますよ・・・と。

関連記事
スポンサーサイト
メガネカメラ秋葉原/ウォルマートカード/ハピタス/●link/
14:34  |  プラハを探す  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

*Comment

コメントを投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

*Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://gambrinus.blog45.fc2.com/tb.php/752-7e202c00

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |