2015.09.05 (Sat)

ドクター肥沼について

8月の半ばにある動画を見た。
関ジャニの村上くんがMCの番組だった。
番組タイトルは「ありえへん∞世界」で、
この日の内容は「世界と日本の知られざる絆SP」だった。
メイン企画は「WWⅡ時にパラオの住民を救った日本人」で、
普通に興味があったので視聴をしたのだ。
もちろん番組はパラオだけでなく他のコーナーもあったので、
「次は…フィリピンで救った」とか、「ドイツでは…」といった具合で、
CMに入る度に「この後は!」と番組内容が予告された。

その予告を見て、えっ?となった。
ドイツ?
いつのドイツ?
誰?
当時の欧州で杉原千畝さんでない他のだれかで?
首をかしげた。
動画を見続けて行くと、ドイツのコーナーに入った。
その絆の主たる日本人はベルリンから東、もうポーランドに近い小さな町に住んでいた。
元々はベルリンで生活をしていたのだが、彼の運命だったのだろう、
この町に住むことになった。
町の名はWriezen.
ヴリーツェン。


彼は医師だった。
自分の専門分野の知識技術を向上させるため、
今から70年以上も前に渡独し、ベルリンで研究に明け暮れていた。
しかし戦後の混乱の中、専門ではない分野で戦う事になる。
専門分野の研究を続けるか、
専門分野外ではあるが治療を必要とする患者のために研究を捨てるか、
選択しなくてはいけない。
彼は研究者ではなく医師だった。
この町で治療に専念する道を選んだのだ。
この教会を見ながら町を歩いたであろう。


それに今も昔も食文化はあまり変化はないであろうから、
こんなハンバーグやソーセージを食べていたかもしれない。
でも戦後間もないからハンバーグとかソーセージは無かったかな…?


彼がヴリーツェンの病院に着くと驚いた。
他に医師が誰もおらず、看護師さんのみが院内を忙しく走り回っている。
前任医師は皆、あまりの大変さのために着任してすぐ逃げ出してしまっていたのだ。
看護師達は新任の彼を見ても、
「どうせ…」と不信感剥き出しだったようだが、
彼は前任医師とは違った。


元病院だった建物は現在は町役場になっているが、
入り口にはこんなプレートが設置されている。


町役場の前にある公園には記念碑がある。


患者は増える一方で、ベットも足りず、薬も底をつくも、
自分を必要としている患者のために奮闘する。


しかし、結局、治療をしていた病気、チフスに掛かり亡くなってしまった。


今もヴリーツェンのお墓に眠る。
墓地の管理人さんに墓石の場所を尋ねたら、ニコリと笑ってひと言。
「付いて来い。」
ここまで案内してくれた。


彼の名前は肥沼信次。
今もヴリーツェンの人々が誇る日本人である。


僕もまだ読んでいないからドクター肥沼については番組で見た内容しか知らないが、
もっと詳しく知りたい方は「リーツェンの桜」を読むと良い。


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08:30  |  ドイツ  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

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