2016.05.14 (Sat)

国父 カレル

1316年5月14日
ヤン・ルクセンブルクとエリシュカ・プシェミスルの間に男の子が生まれた。
幼名ヴァーツラフ。

父であるヤンの政策の関係で、幼少期にはロケットとクシヴォクラートに幽閉され、7才の時にフランスに送られてしまう。


叔父にあたるフランス王シャルル4世に気に入られ、シャルルという名を授かった。
その時から自身のことをシャルルと呼ぶようになった。
チェコ名カレルである。

カレルはフランス滞在中に多くの事を学び、聡明な少年、青年に育っていく。
チェコ語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ラテン語を使え、ラテン語で自伝を書いている。

チェコに戻り、聖ヴィート大聖堂、新市街、カレル大学、カルルシュテイン、カレル橋とプラハだけでなくチェコを大きく発展させ、金印勅書や4度の結婚でチェコ王国とチェコ王の地位を盤石なものとした。


4度の結婚…。
最初はフランス時代、幼年期に婚約したブランカ。
2度目はドイツはプファルツのアンナ。
3度目はスヴィドヴィツェのアンナ。
彼女は本来、2番目の妻アンナとの間にできた息子ヴァーツラフの許嫁だった。
ヴァーツラフが未だ11か月の時に婚約したけれど2才で亡くなってしまい、2番目の妻アンナもすぐにして他界したので、カレル自身が結婚してしまったのだ。
要するに息子の許嫁と結婚したのである。
最後はポメラニアのアルジュベタ。
ポーランド王カジミールの孫にあたる。
彼女は素手で剣を折ることができるほどの怪力だったらしい。
そしてカレルが4度目の結婚をした時は47才になっていたが、アリジュベタが嫁いできた年は31才年下で16才だったのである。


カレルは身長173cm、がっしりとした体軀で、目は大きく、黒いあご髭を蓄えるもデコ広く、凛々しかったけれど、後年は脊髄炎などが影響し前かがみで歩くようになってしまった。
最終的に1378年11月29日に肺炎が原因で亡くなった。

チェコ王ではカレル1世で神聖ローマ皇帝ではカレル4世となるが、今に生きるチェコ人も彼を神聖ローマ皇帝の呼び名であるカレル4世の名を好んでいる。


今日はそんなカレル4世の700才の誕生日。
フシェ、ネイ、カルレ!
誕生日おめでとう。

超簡単なカレルの紹介でした。
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