2017.02.16 (Thu)

プラハを探す ニコラス ウィントン

日本人会会報2月刊行の内容と被ってしまい申し訳ございません。
しかしながら、当ブログでもニコラス ウィントンを紹介したいと思います。
ニコラス ウィントンについては日本にいる友人から情報を得ました。
『ニコラス ウィントンと699人のこどもたち』というタイトルで映画にもなっているようです。


ニコラス ウィントンは1909年5月19日にロンドン生まれた英国人です。
両親はドイツ系ユダヤ人でしたがユダヤ教徒ではなく、宗教色も濃くなく、
よってニコラスもユダヤ人の血を引き継いでおりましたがキリスト教の洗礼を受けていました。
仕事は主に株のブローカーでビジネスマンだったのですが、どの神が手綱を取ったのか分かりませんが、
1939年3月14日から8月2日までにユダヤ人も含め699人ものチェコの子どもたちの命を救う事になったのです。

1938年9月、ミュンヘン協定にてチェコスロバキアはズデーテン地方をナチスドイツに割譲されました。
その後のナチスドイツの動向(チェコ侵攻の予測)と侵攻後の対処として、
イギリスにあるチェコ難民委員会は難民救出活動を行っていました。
しかし人手が足りず、ニコラスに救援依頼が掛かったのです。
ニコラスはスイスへのスキー休暇を取る予定でしたが、
予定を変更して救出活動の援助をするためにプラハに来ました。
救出活動を目の当たりにしたニコラスは、子供の救出に手が回っていない事を知り、
本国イギリス内務省の許可を得て、里親や身元引受人となる人々も確保し、
子供たちの救出活動を開始しました。

当時は旅客機など飛んでいないので、もちろん陸路で移動するしかありません。
プラハ本駅(当時ウィルソン駅)を出発した救出列車はドイツのニュルンベルク、
ケルンを経由してオランダのフク ファン ホラントに到着し、そこから船に乗り換えイギリスのハリッジへ渡り、
再び列車に乗り換えてロンドンに向かうルートを取りました。
その救出列車を1939年3月14日から8月2日まで8度運行させ、
699人もの子供たちの命を救ったのです。
本当は9月1日にも250人の子供を乗せた列車がプラハを出発したのですが、
列車はプラハに引き返して来ました。
なぜなら同日に第二次世界大戦が勃発してしまったからです。
そんなニコラス ウィントンは英国のシンドラーとも呼ばれ、チェコ政府からもいろいろと表彰され、
2015年7月1日に106歳という長寿で亡くなりました。


ちなみに2009年9月1日にウィントン列車がプラハ本駅を発車しました。
この日は戦争勃発の影響で成功裡には至らなかったラスト救出日から70年に当たり、
当時の救出ルートでロンドンまで4日かけて移動するプロジェクトが企画実現されたのです。
当時のように蒸気機関車を手配し、実際に救出された子供たち22名を始め、
彼らの子、孫など総勢170名が乗車してロンドンに向かいました。
そして終着駅のロンドン・リバプールストリート駅では、
ニコラス ウィントン自らが当時のように彼らを待ち受けていたのです。
一方、出発駅のプラハ本駅では列車出発前に、ニコラス ウィントン像の除幕式が行われました。
その銅像は今もプラハ本駅1番線ホームに立っています。
駅に行く機会がありましたらぜひご覧ください。


2月15日現在では駅工事の関係で銅像は木箱の中にいます。
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