2017.09.03 (Sun)

アルトシュテッテン城

プラハから南、ターボル、トゥシェボン、ハラームキーとひたすら走る。車で。
国境を超えオーストリアに入り、オーストリアビールで有名なズヴェッテルを抜けて今度は南西に進路を取る。遠くに川霧がかかっているのが見える。あと少しでドナウ川だ。しかしドナウ川までは行かず、その手前に建つアルトシュテッテン城に向かった。
プラハから車で3時間半。


この城は前々から見学したいと思っていた城で、城を目にした時は「やっと来た。」と感動もひとしおであった。別に城自体は超立派と言う訳でもないから、城だけ見ても感動する事は無いのだけれど、プラハでツアーガイドと言う仕事をしているため憧憬の念が強まっていたのであろう。
その理由はなぜか。
答えは、ハプスブルク家皇太子フランツ フェルディナンドと妻ゾフィーのお墓が有り、現在も彼らの曾孫アニタ ホーエンベルクが所有している城だからだ。


ハプスブルク家はオーストリアの貴族だし、プラハの一ガイドがなぜフランツ フェルディナンド一家に興味を持つのか皆さんには理由が分からないかも知れないけれど、プラハでツアーガイドをしているからこそ、不思議とフランツ フェルディナンドに親近感を持ってしまうのである。
何故なら、彼ら一家はプラハから南に50kmほどの所に建つコノピシュテェ城を所有し生活していたからだ。
そのコノピシュテェ城の案内を何度もしていて、勝手にではあるが自然の流れでハプスブルク家のメンバーの中でもフランツ フェルディナンドにかなりの親近感を持っていたのだ。
だから、彼のお墓のあるアルトシュテッテン城はぜひとも訪れたいと、同志を募り墓参りに出掛けた訳である。


そもそも、フランツ フェルディナンドって誰?
と言う方に、以前にも紹介しているけれど再度ざっくりと紹介しよう。
オーストリア皇帝フランツ ヨーゼフの甥でオーストリア皇太子である。
本来、皇位継承権には程遠いポジションにいたのだけれど、皇帝フランツ ヨーゼフの弟マキシミリアンがメキシコで殺され、息子のルドルフがウィーン郊外のマイヤーリンクで自殺し、フランツ フェルディナンドの父親カール ルドヴイークも没しと、不幸な事に短期間で継承者が次々と亡くなり、ついにはフランツ フェルディナンドに皇位継承権がまわってきたのだ。それが因果か、1914年6月28日にサラエボでセルビア人のガヴリロ プリンツィプに暗殺されてしまった。
そしてご存知の通り、その暗殺事件(サラエボ事件とも言う)がきっかけで第1次世界大戦が勃発してしまった。


私は10年前にサラエボに行きその暗殺現場も見たけれど、現場には「まさにその場所」とマークがあり、そばには小さな資料館があって当時の様子が展示されていた。
さらにもう15年ぐらい前か、ウィーンの軍事博物館に行き、そこに暗殺時に乗車していた車や軍服もあった事も記憶している。
さらにさらに暗殺者ガヴリロ プリンツィプが投獄されていたチェコ北部のテレジーンにも行った。
それらの資料がアルトシュテッテン城にも展示されている。


続けてフランツ フェルディナンドの紹介。
先述の通り、皇位継承権からは遠い存在だったので砲術を学び軍に属し、趣味に没頭していた。
他には結婚相手を選ぶのは大変だった。
爵位関係なく好きな女性を選ぶことはまず不可能に近かった。
それでも結婚相手に選んだ相手はハプスブルク家よりも大分位の低いチェコの貴族ホテク家のご令嬢ゾフィー。
内密に慎重にバレないようにお付き合いしていたけれど結局隠しきれず、テニスをしている時に懐中時計の蓋にゾフィーの写真を忍ばせているのが発覚し、一大スキャンダルとなってしまった。


ハプスブルク家や近しい人は結婚には猛反対。
フランツ フェルディナンドは反対者との戦いを戦い抜きなんとか結婚にこぎ着けた。
子孫の皇位継承権放棄、子孫はウィーンで埋葬しないなどの条件つきで…。
結婚式もひっそりとしたものだった。


1892年から1893年にかけて世界旅行をしている。


日本にも訪れていて、長崎入国、横浜出国だった。


箱根富士屋ホテルに宿泊したのは有名な話だ。


ちなみにエジプトではファラオのミイラにもなっている。


またフランツ フェルディナンドは多趣味な人でもあり、狩猟と収集への力の入れようは半端ではなかったらしい。
コノピシュテェ城ではフランツ フェルディナンドは「狩猟記録なる物を付けていた。」と聞いてはいたが、物を見ていなかったので半信半疑だったが、アルトシュテッテン城にはその記録が展示されていた。
1880年から1909年までの記録で、動物の種類や場所で捕獲した動物の頭数が記されていてる。
合計はなんと272349頭。
たしかにコノピシュテェ城の案内で狩猟で約30万頭の動物を撃ったとは聞いていたし、私自身も案内していたが、この狩猟記録を見てやっと納得できた。
余談ではあるが、日本では狩猟をする時間がなかったらしい。
しかし奈良公園を散策中、鹿を見てどうしても撃ちたい衝動に駆られていたら、背後から鹿にツノで突かれたそうだ。


さらには研究熱心な人でもあり、オーストリア ハンガリー二重帝国に住む人々の言語分布図と言うのも作成している。


そんなフランツ フェルディナンドと妻ゾフィーが眠るアルトシュテッテン城に行って来たのです。


詳しく書き始めたら終わらないのでもう辞めます。
ちょっとしたオタクですね。



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16:56  |  オーストリア  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

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